1950 FIFAワールドカップ 地区予選は、開催国と前回優勝国を含めて、34のナショナルチームがエントリーした。
本大会に出場できるのは16チームで、開催国のブラジルと前回優勝国のイタリアは予選を免除された。
連合王国を構成するイギリスの各サッカー協会がFIFAワールドカップに初めて参加することになり、特例として1949年から1950年にかけて行われたブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップの1位と2位のチームが予選通過することとなった。
ドイツと日本は参加を拒否された。
大陸別にグループを組んで、限られた上位のチームが本大会へ出場できる。それぞれグループの予選方法は以下の通りである。
1950 FIFAワールドカップ・予選グループ1はブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップを兼ねて開催された。イギリスの4チーム(イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド)が初めてFIFAワールドカップに参加した。2位となったスコットランドも1950 FIFAワールドカップ本大会出場権を獲得したが、自国はブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップの優勝チームでないという理由で本大会への出場を辞退した。
オーストリアが辞退した為、トルコの出場が決定。しかし、本大会直前にトルコは参加を辞退。理由はブラジルへの渡航費用の懸念とされる。
2試合を終えて2チームの勝ち点、得失点差、総得点が並んだ。その為、再試合を中立地のイタリアで行った結果、ユーゴスラビアが3-2でフランスに勝利して出場を決めた。
ベルギーが辞退した為、スイスの出場が決定した。
フィンランドは途中棄権した。
アルゼンチンが辞退した為、ボリビアとチリの出場が決定した。
エクアドルとペルーが辞退した為、パラグアイとウルグアイの出場が決定した。
1949年北米選手権がワールドカップ予選を兼ねた。
ビルマ、インドネシア、フィリピンが辞退した為、インドの本大会出場が決定したが、大会直前に参加を辞退した。その理由は、裸足でのプレーをFIFAに拒否されたためとも、ブラジルへの渡航費用の懸念とも、全インドサッカー連盟がワールドカップよりもオリンピックを重視していたためともされる。
予選通過国のうち、スコットランド、トルコ、インドが辞退した。FIFAはポルトガルやフランス、アイルランドに出場権を与えようとしたが拒否されたため、本大会は13チームで開催された。
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