木村 慎太郎(きむら しんたろう、1987年6月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。奈良県磯城郡三宅町出身。奈良県立添上高等学校から早稲田大学を経て、現在はアシックスに所属している。
式下中学校3年だった2002年に、全日本中学校陸上競技選手権の100mで優勝した。10月のジュニアオリンピック陸上競技大会のB男子100mも11秒03(-0.6)で優勝し、2003年2月の日本ジュニア室内陸上競技大会の中学60mも6秒95の大会記録で優勝した。
添上高校3年時には、インターハイの100mで2位、国民体育大会の少年A100mで4位、日本ジュニア室内の60mで優勝を果たした。2006年に早稲田大学に入学。
2006年の大学1年時には日本インカレに出場したが、100mは11秒09の予選3組7着で敗退した。4×100mリレーは予選で1走を務めて決勝進出に貢献するも、決勝は出番なしに終わった(決勝の早稲田の結果は2位)。
2007年の大学2年時、6月の日本インカレ100mは10秒78の準決勝2組3着で敗退し、初の決勝進出はならなかった。しかし、4×100mリレーでは予選で3走、決勝で1走を務め、2位入賞に貢献した。9月の全日本学生陸上競技チャンピオンシップ100mは10秒42で優勝を果たした。
2008年の大学3年時には、6月の日本学生個人選手権100mを10秒38の自己ベスト(当時)で優勝すると、同月の日本選手権の100mでは塚原直貴、朝原宣治に次ぐ3位入賞を果たした。9月の日本インカレ100mでは初めて決勝に進出して5位、4×100mリレーでは1走を務めて優勝した。同月の早慶対抗陸上競技会4×200mリレーではアンカーを務め、江里口匡史らとともに1分22秒67の日本記録(当時)を樹立した。
2009年の日本選手権100mでは、予選で自己ベストの10秒21を記録した。決勝でも江里口に次ぐ2位になり(記録は10秒22)、世界選手権の代表に選ばれた。8月の世界選手権では、2次予選のスタート前に遅延行為で警告を受け、10秒54で敗退した。9月の日本インカレでは、100mで江里口匡史に次ぐ2位、4×100mリレーは決勝のみ出場し、2走を務めて連覇を達成した。12月の東アジア大会では、100m、4×100mリレーでともに銀メダルを獲得した。
2010年は日本選手権100mで8位に終わったが、IAAFコンチネンタルカップの4×100mリレーで「アジア・太平洋」の4走を務め2位に入った。全日本実業団選手権を制した後、10月の国民体育大会でも10秒31を記録して優勝した。
2011年、5月のゴールデングランプリ川崎に出場し、100mは10秒54(-0.8)の4位、4×100mリレーでは日本Aチームの2走を務めて38秒78で優勝した。9月の全日本実業団選手権100mでは、塚原直貴に次ぐ2位に終わり連覇を逃した。10月の国民体育大会成年100mでは、決勝で10秒27(+1.8)を記録して4位に終わった。
2012年、6月の日本選手権100mには2年ぶりの出場を果たし、10秒55(0.0)の7位に終わった。9月の全日本実業団選手権では、100mは11秒31(-0.6)の準決勝1組8着、200mは22秒29(-1.0)の予選3組6着で敗退した。
2013年、6月の日本選手権100mに出場し、10秒56(+0.9)の予選2組5着で敗退した。
2014年、6月の日本選手権100mに出場し、10秒54(+0.7)の予選2組5着で敗退した。同月28日の大阪選手権100mに出場し、10秒95(+1.0)の予選3組5着で敗退した。その日の夜に、大阪選手権を最後に競技生活から退くことを自身のtwitterで明らかにした。10月12日の所沢市選手権で引退記念レースが行われたが、写真判定機故障のため記録なしに終わった。
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