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SC鳥取


SC鳥取


SC鳥取(エスシーとっとり)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。鳥取教員団サッカー部として1983年に創部し、1989年に「SC鳥取」へ改称した。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のガイナーレ鳥取の前身となったクラブである。

概略・歴史

鳥取教員団サッカー部

1983年、鳥取県内の教職員のチーム「鳥取教員団サッカー部」として創設、鳥取県サッカーリーグ2部に登録し優勝。1985年に鳥取県リーグ1部で初優勝した。

1987年に中国サッカーリーグに初昇格。

SC鳥取

1989年 - 2000年

1989年、鳥取県リーグへの降格を機に、鳥取県を代表するチームとなるべく、名称を「SC鳥取」へ変更した。1995年から鳥取県リーグ1部を3連覇して、1998年に中国リーグへ再昇格。また、同年には鳥取県出身者初のJリーガーで後にクラブ代表となる塚野真樹が選手として加入した。

なお、1997年に天皇杯に初出場した(1回戦で川崎フロンターレに敗北)。

2000年、中国リーグ初優勝、同年全国地域サッカーリーグ決勝大会へ初出場し決勝ラウンドに進出、最終順位は4位で日本フットボールリーグ(JFL)自動昇格の2位以内は逃したが、全国社会人サッカー連盟推薦でJFL昇格を果たした。

2001年 - 2006年

2001年、特定非営利活動法人やまつみスポーツクラブの支援を受けることとなった。JFL初年度は年間2勝(勝ち点8)の成績で最下位。なお、この年に背番号5を着けていた選手が現役中に死去したため、背番号5が永久欠番となった。後身のガイナーレ鳥取でも背番号5は永久欠番となっている 。

2002年、前年と同じで第14節までは地域リーグへの降格圏内(15位以下)であったが、15節16節とJFL昇格後初の連勝を飾った。第17節は横河電機に敗れるも静岡産業大学とジヤトコも負けたためJFLに残留。この年、JFL残留を祈念する「落ちてたまるか!」キャンペーンが行われ、ステッカー等が制作された。

2003年、愛称を公募により「ガイナーレ」(GAINARE) とし、実信憲明などの新戦力が加入した結果、過去最高の10位。しかし2004年は14位と低迷。翌2005年は12位に終わった。

2005年12月に夕方のローカルニュース番組の中で塚野真樹GM(当時)が日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)挑戦を公式表明した(その後、改めて記者会見も実施)が、この段階ではプロ選手がゼロであったこともあり、2006年は11位に終わった。

2006年12月に株式会社SC鳥取が設立され、2007年よりガイナーレ鳥取としてプロ化されたことにより、1983年からのアマチュアチームとしての歴史に終止符が打たれた。2007年2月にJリーグ準加盟が承認され、米子市から鳥取県全県にホームタウンを広域化した。

それ以後、アマチュアチームとしてのSC鳥取という名称及びチームとしての体裁はSC鳥取ドリームスに継承され、そのチームを2011年から再びやまつみスポーツクラブが運営するという形で現在に至っている。

成績

鳥取教員団サッカー部

SC鳥取

対戦通算成績

SC鳥取(2001~2006)及びガイナーレ鳥取(2007~2010)のJFL所属時のチーム別対戦成績。

背番号変遷

1-10

11-20

21-30

31-40

41-

タイトル・表彰

チーム

  • 日本フットボールリーグ
    • 奨励賞: 2001年
    • 特別賞: 2001年
  • 中国サッカーリーグ
    • 優勝(1回): 2000年
  • 鳥取県サッカーリーグ1部
    • 優勝(6回): 1985年,1986年,1989年,1995年,1996年,1997年
  • 鳥取県サッカーリーグ2部
    • 優勝(1回): 1983年

個人

日本フットボールリーグ
  • 敢闘賞
    • 2001年 : 塚野真樹
    • 2006年 : 清水裕之
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スタジアム

鳥取県米子市が主たる活動地域であったため、米子市営東山陸上競技場をホームスタジアムとしていた。また、上記の他、下記のスタジアムでも開催していた。

  • 鳥取市営サッカー場 (鳥取市)
  • 鳥取県立布勢総合運動公園陸上競技場 (鳥取市)
  • 松江市営陸上競技場 (島根県松江市)
  • 島根県立浜山公園陸上競技場 (島根県出雲市)
  • 岡山県美作ラグビー・サッカー場 (岡山県美作市)

年度別入場者数

略記について
  • 入場者数の太字は、歴代最多および最少
  • 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。

練習は米子市内をメインに、伯耆町、島根県安来市などで行われた。

チーム情報

チーム名変遷

  • 1983年-1988年 鳥取教員団サッカー部
  • 1989年-2006年 SC鳥取

スタジアムDJ

  • 稲田茂(エフエム山陰アナウンサー)

ゲゲゲの鬼太郎

2001年ごろからユニフォームにゲゲゲの鬼太郎のキャラクターのワッペン(フィールドプレーヤーは、一反木綿に乗った鬼太郎と目玉おやじが、GKにはぬりかべが)が描かれていた。また、サポーターの応援では、一反木綿を模した布を使った応援をしていたほか、GKに対する応援歌を「ぬりかべ、○○(選手名)」と歌うなどもしていた。このGKに対する応援歌は、ガイナーレ鳥取となった現在でも引き続き歌われている。

2005年、期間限定であるが角川映画とユニフォームスポンサー契約を結び、角川映画の作品「妖怪大戦争」のロゴマークを背番号部分に挿入した。これは米子市に接する境港市出身の漫画家・水木しげるが同作品の監修を手がけていること、また、ゲゲゲの鬼太郎がチームのマスコットとして採用されていることがきっかけとなったものである。更に、映画「妖怪大戦争」にも出演した忌野清志郎が2005年7月に米子市公会堂で行ったライブで、このロゴが入った特注のSC鳥取のユニフォームを着てステージに立ったこともある。

なお、ガイナーレ鳥取となってからの2009年に鬼太郎のキャラクターはユニフォーム及びグッズから撤退し、現状ではチームマスコットとしては使用されていない。

KUMACHI

地元の米子市出身の熊谷尚武率いるバンド、KUMACHIの楽曲「FLY」を、チームのオフィシャルテーマソングとして使用していた。試合のイベントでKUAMCHIが実際にこの曲を演奏したこともある。また、同じくKUMACHIの楽曲「声が届くまで」は、ガイナーレ鳥取となった現在に於いてもゴールチャンス時の応援チャントとして歌い継がれている。

提携

2006年、ヴィッセル神戸との提携関係を結んだ。神戸で出場経験の恵まれない中堅選手たちの実戦機会提供の強化を図ることが目的で、この提携に伴うSC鳥取と神戸による記念試合が2006年2月に行われたほか、両チームによる練習試合が以降何度か組まれた。しかしその後そのような目的による選手の移籍はわずか一例(2006年10月の原信生)しかなく、その後も発生していない。ガイナーレ鳥取と改称改組した2011年現在もこのような提携関係が結ばれているかどうかは不明である。

サポーター・応援

チーム地盤が鳥取県米子市にあったことから、県西部を中心とする鳥取県内に多くのサポーターがいた。また、島根県東部での試合も何度か組まれたため、島根県にもある程度はサポーターがいたと思われる。こうしたサポーターの多くはガイナーレ鳥取となってからも引き続き応援を続けている。また一時期、オフィシャルサポーターズクラブと称する「DARA-Z(ダラーズ)」なるサポーターズクラブが設立されたこともあった。

応援については、JFL昇格当初から有志中心に熱心な応援活動が行われており、ガイナーレ鳥取となった現在でも歌い継がれているチャントが(前述の「ぬりかべ」などを含め)いくつか存在する。

ユニフォーム

チームカラー

  •  

ユニフォームサプライの遍歴

  • 2001年 - 2002年 ミズノ
  • 2003年 - 2006年 ヒュンメル

歴代ユニフォームスポンサー年表

教員団のサッカーチームを前身とするクラブ

  • 栃木SC (←栃木教員団サッカー部)
  • さいたまサッカークラブ (←埼玉県教員サッカークラブ)
  • 福井KSC (←福井教員サッカークラブ)
  • TSV1973四日市 (←三重教員サッカー部)
  • Cento Cuore HARIMA (←兵庫教員蹴球団)
  • レノファ山口FC (←山口県サッカー教員団)
  • ヴォルカ鹿児島 (←鹿児島県サッカー教員団)

脚注

関連項目

  • SC鳥取公式HP( - 2007年2月)
  • Category:SC鳥取の選手

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: SC鳥取 by Wikipedia (Historical)



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