大野 文泉(おおの ぶんせん、安永3年(1774年) - 天保8年(1837年))は、江戸時代の画家。『集古十種』の編纂に加わった。
はじめ大野文泉を名乗ったが後に巨野泉祐(おおの せんゆう)と改名した。通称を万平。陸奥白河の生まれ。
寛政元年(1789年)に白河藩に仕え同7年(1795年)、藩主松平定信に画才を認められ谷文晁に入門。同10年(1798年)、白河藩御用絵師となる。『集古十種』の編纂に画人として加わり、西日本から東北まで諸国を遊歴して古宝物の模写を行った。
文化8年(1811年)、朝鮮通信使を迎えるため対馬に渡っているが、このとき以来巨野泉祐を名乗るようになった。文政6年(1823年)に定信が桑名藩に移封になるとこれに従った。
真景図・肖像画に優れた。
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