能面(のうめん)は、能で用いられる仮面である。
能面は、能を演ずる際にシテ方が着ける面である。式三番(翁)で用いられる面(式三番面、翁面)は、狭義の能面には含まれないが、能面に含めて呼ぶこともある。本項では翁面についても述べる。
鎌倉時代(13世紀)には、翁猿楽で翁面が用いられていたようであり、これが能面の源流と考えられる。南北朝時代、猿楽・田楽の発展に伴い、能面の創作が始まったとされ、室町時代初期の世阿弥の時代、猿楽(申楽)が大成するのと同時期に、日本各地で優れた面打ちが輩出し、鬼面・女面をはじめとして徐々に面の種類が増えていった。室町時代後期から安土桃山時代にかけて、面の種類が出揃い、曲目と面との対応関係も確立し、能面は完成期を迎えた。江戸時代には、世襲の面打ち家が代々面打ちを行うようになり、この時代になると新たな創作はあまり行われず、室町時代の「本面」を忠実に模作することが中心となった。明治時代には、能楽界が衰微し、世襲面打ち家も絶えた。多くの能面が日本国外に美術品として流出した(→歴史)。
能面を制作することを「打つ」という。材質はヒノキが一般的であり、木取りをした後、最初は荒く、徐々に細かく彫り進め、目鼻口の穴を開けると、面裏の漆塗りをするのが一般的である。
能楽師は能面を
能楽師は、面を極めて丁重に取り扱う。シテやツレは、楽屋で装束を着けた後、揚幕の奥にある鏡の間で面に向き合い、両手で押しいただく。そして、後見らが紐を張って面をかける(→面をかける作法)。舞台で、面に生きた表情を与えることは技量が求められ、特に女の面は微妙な「中間表情」を持っているとされ、わずかに面を下に向ける(
現在知られる面の名称は約300、面種は約250に及ぶとされるが、基本の面種は約60種類で、約60種類をそろえれば、約240曲の現行曲のほとんどを上演することができると言われる。役柄によって大まかに分類すると、人間の面は、老体面(尉面)・女体面(女面)・男体面(男面)と分けることができ、その中にも、穏やかな表情のもの(常相面)と、非日常的なすさまじさを持った表情のもの(奇相面)とがある。また、鬼や天狗などの異類の面(鬼面、異相面)もあり、これも老体・女体・男体の異類に分けることができる(→種類)。主な面種の例については、一覧表を参照(→主な面種(能面・翁面)の例)。
飛鳥時代の推古天皇20年(612年)、百済の味摩之が、呉(中国南部)から伎楽を伝えたとされている。これは仮面である伎楽面を用い、寺院に向かって行列を組むもので、道中で寸劇を演じることもあった。伎楽面は、後頭部まで覆う大型面で、鼻が高いのが特徴である。伎楽面の「呉女」は能面の女性面に影響を与えているとされる。
伎楽に続いて、宮中儀式芸能として舞楽が大陸から伝来した。舞楽面は、伎楽面のように後頭部まで覆うものではなく、小さめである。口のところを上下に切り、口の左右を紐で結ぶ「切り顎」、下顎を紐で吊る「吊り顎」形式のものなどがある。このうち「切り顎」のものは、翁面とも関係があるとされる。
能楽の源流は、翁猿楽(式三番)にあるとされ、翁猿楽が演じられたことを示す最古の記録は、13世紀末の奈良春日大社の祭礼記録にある。1283年(弘安6年)の『春日若宮臨時祭記』には、次の記事があり、猿楽方の諸役の中で翁の役のみが「
式三番に用いられる面は、平安時代末期に創作され、鎌倉時代には完成していたようであり、父尉、翁(白式尉)、三番叟(黒式尉)、延命冠者の4面が用いられていたようである。ベルリン国立民族博物館所蔵の翁面には、面裏の漆の下に弘安元年(1278年)の墨書銘があり、翁面の造形が鎌倉中期には確立していたことが分かる。
なお、後世の言い伝えでは、翁面の最古の作家として聖徳太子、淡海公(藤原不比等または藤原鎌足)、弘法大師(空海)、春日(鞍作止利または稽文会・稽主勲)の4人を「神作」と呼んでいるが、荒唐無稽の説である。
世阿弥の言葉を記した『世子六十以後申楽談儀』には、「面の事。翁は日光打ち。弥勒、打ち手也。」とあり、翁面の優れた打ち手として日光と弥勒の2人が挙げられている。
4面のうち、延命冠者を除く3面は、顎が口の横から切り離されて紐で繋がれた「切り顎」という構造をとっており、他の能面にはない特徴である。切り顎は、声がこもらずに聴こえやすくするための構造とも考えられる。
南北朝時代以降、猿楽・田楽が発展していったが、古来の伎楽面、舞楽面、神像、仏像等の影響を受けながら、能面の創作が始まったとされる。1349年(貞和5年)の四条河原での橋勧進田楽興行では、猿や鬼の面が使用され、同じ年の春日若宮臨時祭で禰宜が演じた田楽能では、龍神や龍王の役が面を着けたことが確認できる。
13世紀から14世紀にかけての初期の能面は、大衆芸能に用いられていたことを反映して、変化に富み、写実的であり、粗野な表情をしている。少女の能面も、口元や目にはっきりした笑いの表情が見られるものであった。能面の初期の彫刻技術は、当時広く演じられていた舞楽の面から取り入れられた可能性があるが、能面は、伎楽面や舞楽面とは異なり、大陸からの原型の忠実な複製ではなく、はっきりと日本人の顔立ちを表していることが特徴的である。
室町時代初期の世阿弥(1363年? - 1443年?)の時代には、猿楽(申楽)が大きく発展し、それと同時期に、日本各地で優れた面打ちが輩出した。近江国では世阿弥が「鬼面の上手」と評した
安土桃山時代の下間仲孝が著した『
また、十作に少し時代的に後れ、十作に次ぐ格の面打ちとして、「六作」という呼び方もされた。誰を六作とするかは伝書によって異なるが、増阿弥、千種、福来、宝来、春若、石王兵衛などがこれに当たるとされる。
室町時代後期から安土桃山時代にかけては、面の創作が続けられるとともに、様式が完成してきて、種類もほぼ出揃った。曲目と面との対応関係も確立してきて、下間仲孝が著した能の型付『
豊臣秀吉は、伝説の名人龍右衛門の3面の「小面」に「雪・月・花」と名付けたと伝えられる。そのうち、月の小面は江戸城で火災に遭って焼失したが、雪の小面は金剛宗家、花の小面は三井記念美術館に伝えられている。
この時代に活躍した面打ちには、伝説上の人物も含め、三光坊、
江戸時代には、能は幕府の式楽として保護され、諸大名も、競って古面や名品を蒐集したり、本面を面打ちに写させたりした。新たな創作はあまり行われなくなり、模作中心となった。本面の写し方は徹底しており、彩色の刷毛目や、鑿跡、面に付いた傷、彩色の剥落まで写しているものもある。
1532年(天文元年)に亡くなったと伝えられる三光坊満広の流れを汲む越前
江戸時代後期に喜多流九世宗家・喜多七太夫古能が著した『仮面譜』では、古来からの作品から新しいものまでを格付けして、十作、六作、古作、中作、中作以降というように整理している。
明治維新後、幕府や藩の庇護を失った能楽界は衰微し、世襲面打ち家も絶えた。他方で、日本国外では美術品として珍重された。しかし、木材は大気を吸湿する為、温・湿度の差により、彩色の剥落が起こりやすい。
現代に制作された面は、「新面」と呼ばれ価値が低いとされてきたが、近年では、正当に評価され、舞台に使用されるようになった。その背景には、古作の面を度々舞台で使用することが、保護や保存の観点から控えられるようになったという事情もある。創作面は、ほとんど使用されることがないが、新作能が上演される場合には制作・使用されることがあり、一例として、1943年(昭和18年)の新作能『世阿弥』には、面打師北澤耕雲制作の「世阿弥」の面が用いられた。
能面は、ヒノキでできているものが一般的であり、キリでできているものもある。ヒノキは木目が比較的そろっていて彫りやすく、寿命も長いからだと考えられる。木曽檜が山で切り出され川で流されている間にヤニが抜けたものが最良であると言われるが、現在では入手が困難である。
能面を制作することを「打つ」という。
現在の能面の制作(面打ち)は、古面の模作面(写し)を作ることが主流である。写しを制作する場合、まず本面を傷つけないよう慎重に型紙を作った上、大まかには次のような工程を経るとされる。
面打師の北澤三次郎は、「木の中には完成された面の姿を見ていて、それをいかに引き出すか、いかに余分なものを削り払っていくかということが実際の作業である。技術は表現しようとすることの手段であって、心理や思考が優先する。」と述べている。
能楽師は、能面を
子方は、面をかけない。室町時代から大きさがほぼ決まっている能面は、子供には大きすぎることから、思春期を迎え体が能面に合うようになる頃、初めて能面をかける。これを「
なお、狂言は、基本的に素顔で演じられるが、特殊な役柄では狂言面を用いる。
同じ曲目・役柄であっても、流儀によって面の使用に対する好みがある。若い女性面では、金春流と喜多流は「
同じ観世流の『熊野』や『松風』でも、面には「若女」「深井」「小面」といった選択肢があるが、「若女」や「小面」を着ける場合、装束は紅を中心とした華やかな
なお、上述の若い女性面のように、いくつかの面種の間で一定の互換性があり、その範囲内で面を選択する場合がある一方、天狗物の能は「大癋見」がなければ上演できないとか、大口をはく脇能の老人には「小尉(小牛尉)」が必要であり「阿瘤尉」で代替することはできない、といった決まりごともある。
小書などの演出によっても、面の選択が変わってくる。
能楽師は、面を極めて丁重に取り扱う。
能楽師は、楽屋で装束を着けると、
なお、以上は通常の能の曲の場合であり、『翁』の場合は、役者が舞台上で面をかけるという特有の作法がある。すなわち、
能楽師にとって、面に生きた表情を与えることは最大の難関である。不意に頭を上げ下げしたり、ぎくしゃくしたりする動きは醜いとされる。特に女面は微妙な「中間表情」を持っているとされ、わずかに面を下に向ける(
演者の立場からは、美術工芸品として美しい面と、舞台で生きる面では微妙に違い、近くで見ると素晴らしい面でも、観客席まで力が届かない場合もあると指摘されている。
面をかけると、視界がさえぎられ、呼吸も不自由になるため、演者には身体と精神の厳しい修行が求められる。面の両目の間隔は人の目よりも狭く、右か左かの利き目に合わせて、片目で見ることとなる。特に見にくいのは女面、中でも目鼻口が中央に寄っている小面であると言われる。自分が舞台の上のどこにいるかを知るにも、目と鼻孔の小さな穴を通したわずかな視界から覗き見るほかなく、舞台の四方の柱や、囃子方の位置を見て、方向や歩数を計る。扇を開くような簡単な型でさえ、目で見ながら行うことはできず、長い袖の下から手探りで行わなければならない。「弱法師」のような盲目の役柄に使う面の目は、通常の小さな穴ではなく、下向きの切れ目であるため、むしろ演者にとっては視界が広くなる。能ですり足をするようになったのも、もともと、視界が限られ、体重のバランスを保つことが難しいという事情によると考えられる。
能面には、完成された類型が約60種類あるとされ、約60種類をそろえれば、約240曲の現行曲のほとんどを上演することができると言われる。ただ、細かく挙げると、現在知られる面の名称は約300、面種は約250に及ぶとされる。その中には、同名異種または異名同種の面がある。また、一般に異名異種とされる面であっても、「深井」と「曲見」のように、顔立ちの点からは区別をすることができず、毛描が流れ出す位置によって区別しているにすぎないという場合もあり、面種の区別を立てる基準は必ずしも明確ではない。
能面の分類には様々なものがあり、以下は、用いられる役柄と形態上の特徴による分類の一例である。
なお、人間でも異類でもない神や、物の精などには、特別の類型の面がなく、人相面または異相面のいずれかを用いる。
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