2000年の中日ドラゴンズ(2000ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、2000年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、2回目の星野仙一監督体制の5年目のシーズンである。
11年ぶりの優勝を果たしたチームだが、オフには「韓国三銃士」のサムソン・リーがメジャー志望で退団すると、守護神・宣銅烈が年齢からくる衰えを理由に退団。その穴埋めとして投手陣でメルビン・バンチ、エディ・ギャラードの2人を、打撃陣の強化を狙ってデーブ・ニルソン(ディンゴ)を獲得したが開幕からディンゴは不振にあえぎ、シーズン途中で解雇。投手陣はエース・野口茂樹と山本昌に加えて新外国人バンチがローテを守るものの、前年優勝に貢献した川上憲伸や武田一浩が不振にあえいだ。リリーフでもギャラードが新守護神として抜群の活躍を見せるも、近鉄から移籍の小池秀郎やオリックスから移籍した鈴木平は環境の変化に対応できず不調に終わるなどの誤算で、チーム防御率は前年の3.39から4.19へ低下。打撃陣は山﨑武司、レオ・ゴメス、立浪和義が例年通りの活躍を見せるも、2年間切り込み隊長だった李鍾範が成績不振、関川浩一は.330から.260まで打率を落とした。チームは投手陣の不調から4月を最下位で終えるものの、外国人パワーで5月に大きく盛り返して首位に浮上。しかしそれ以降貯金をためることができず、6月以降は巨人の独走を許した。9月初めに巨人との直接対決3連戦を迎えるが、投手陣が29失点を喫して大敗。9月24日には敵地東京ドームで4対0と巨人をリードするものの江藤智の満塁本塁打で追いつかれ、続くギャラードが二岡智宏に優勝決定サヨナラ本塁打を浴び、1994年・1996年に続いて長嶋茂雄監督の胴上げを許し結局2位でシーズンを終えた。対戦成績では優勝の巨人と相性が悪く9勝18敗で大きく負け越し、巨人優勝の引き立て役となった。本拠地のナゴヤドームで2勝12敗、被本塁打が26本とホームの中日が1年で打った本塁打(32本)に迫る勢いで被弾した。5月6日、ナゴヤドームでの対横浜ベイスターズ戦で、立浪が自身への投球をストライクと判定されたことへの不満から球審を務めていた橘高淳を両手で突いて退場処分となり、立浪の退場が宣告された直後に星野は橘高に体でぶつかっていったため暴行を働いたとして退場処分を受け、5試合出場停止となり監督代行はヘッドコーチの島野育夫が務めた。
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