豊明市(とよあけし)は、愛知県の中部に位置する市。尾張地方の南東端である。
かつては鎌倉と京を結ぶ古代東海道の「両村駅」や、鎌倉街道の「沓掛宿」があり、旧東海道がこの地域を通過していた。桶狭間の戦いの主戦場となった桶狭間古戦場伝説地を有する。現在は国道1号や国道23号、伊勢湾岸自動車道、名鉄名古屋本線が市内を通過している。1972年(昭和47年)8月1日、愛知県愛知郡豊明町が市制施行し、県下30番目の市として豊明市が成立した。市内には中京競馬場や藤田医科大学病院(旧称:藤田保健衛生大学病院)などがある。一部が元額田県地域(知多半島)である。
豊明市域は丘陵地と低地から構成され、一帯の土地は北部の標高72mの二村山を最高に南に向かって緩やかに傾斜している。
天白川水系の手越川と境川以外の市内を流れる川は全て市内の池を水源とし、最終的に境川に流入する。
境川水系
天白川水系
市内には複数のため池がある。
人口密度は愛知県下31市中9番目に高い。しかし近年は微減傾向にあり、清須市・日進市などに抜かれている。
市名になっている豊明の地名は、1800年代初期から昭和時代に現在の名鉄前後駅付近に存在した酒造業の豊倉という屋号と元号の明治から採られたと伝えられている。『豊明町誌』によれば、宮中の年中行事の豊明節会(とよのあかりのせちえ)から嘉字である「豊」と「明」の2文字を採って付けられたとされる。
市西部には「前後町」(ぜんごちょう)という地名がある。豊明市生涯学習課によると地名の由来は、「江戸時代はじめ、親村の間米(まごめ)から見て南に位置したので前郷(前:南の意味)とよばれた。やがてぜんごうと呼び方がかわり、江戸時代末には前後と記された。また明治時代には現代のようにぜんごと呼ぶのが一般的になった。」とされている。
市内に警察署は存在せず、愛知郡東郷町にある愛知警察署が管轄している。
市内に公立の病院はないが、藤田医科大学病院が基幹災害医療センター(救命救急センターの指定を受けているものから選定し、平常時からの研修・訓練等を通じて県下全域の災害医療体制の機能強化の役割を担う)として愛知県から指定され、市内における拠点の総合病院となっている。
市役所前の大通り(県道57号線)沿いに2件のビジネスホテルが存在するが、どちらも前後駅、豊明駅から距離がある。
2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた。
市内を通る鉄道は名鉄名古屋本線のみである。市中心よりやや西に離れた場所を概ね東西に貫通している。市域がそれほど広くないため、駅は2ヶ所と少ない。
代表駅は前後駅。ただし市役所へは両駅とも距離がある。
中京競馬場前駅は隣接する名古屋市緑区にあるが、駅南側は豊明市になる。
名古屋市営地下鉄桜通線が徳重駅から市北部を経由して豊田市南部方面へ延伸する計画があるが、着工には至っていない。徳重駅は市境から2kmほどの場所に位置しており、後述の通り市内から名古屋市営バスや名鉄バスが連絡している。
市境から徒歩で行けるバス停としては他に、市バスのみどりが丘公園会館、みどりが丘公園、太子、郷前、名鉄バスの三ツ池など複数が存在する。
この他、東郷町巡回バス「じゅんかい君」が市内の薮田バス停を経由している。
2018年7月より、豊明市とアイシン精機、スギ薬局が提携してデマンド型乗り合い送迎サービス「チョイソコ」を運行している。2019年4月よりひまわりバスが再編されて経路が大きく削減されたため、経由しない地区の住民にとってはチョイソコが補完路線となる。同時に運賃が200円となった。
2019年9月2日より、前後駅南口(名鉄バスとは停留所の場所が異なる)に大府市循環バスが乗り入れている。
伊勢湾岸自動車道
豊明市は、名古屋ナンバー(愛知運輸支局)が割り当てられている。
2016年より、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元の大軍を破ったことにちなみ、「大金星のまち とよあけ」と称して各種観光PRを行っている。
なお工藤公康(プロ野球選手(投手)・監督)は「豊明市出身」として紹介される場合があるが、本人の生誕地は名古屋市天白区で、出身小中学校も同区内の高坂小学校・久方中学校(いずれも名古屋市立)である。公康が名古屋電気高校に在学していた当時も、家族は天白区高坂町に在住していたが、公康のプロ入り後(1984年)に豊明市二村台へ引っ越している。
以下は桶狭間の戦いにちなんで作られた自治体のマスコットである。
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