株式会社生島企画室(いくしまきかくしつ、英: IKUSHIMA PLANNING INC.)は、TBS(現在のTBSテレビ)アナウンサーの生島ヒロシ(本名:生島博)が、退社翌日の1989年4月1日付で実弟の生島隆と共に立ち上げた芸能プロダクション。設立32周年を迎えた2021年4月の時点で、100名以上のフリーアナウンサーやタレントが所属している。
生島4兄妹の長兄に当たるヒロシが会長、次弟の隆が代表取締役社長を務める芸能プロダクションとして設立。ヒロシ曰く、設立に際しては、「『とにかく一人で何もかも、自分の好きなようにこなしたい』との固定観念が強いことに加えて、TBSからの独立を考えていた1980年代の後半に、フジテレビ系プロダクションの関係者と出会ったことが大きく影響している」という。現在は、末弟でスポーツライターの生島淳や、ヒロシの実子で芸能活動を展開している生島勇輝・生島翔も所属している。なお、隆は2020年10月1日付で相談役に異動。副社長として所属タレントの育成に尽力してきた飯尾友康が、隆から社長職を引き継いでいる。
TBSラジオ(生島ヒロシが所属していた時代にはラジオとテレビの兼営局だったTBSからラジオ放送部門・ラジオ放送免許を2001年10月1日付で承継したグループ会社)との関係がとりわけ深く、ヒロシ自身が会長職と並行しながら、ラジオパーソナリティとして1998年4月から早朝帯に複数の冠番組(『生島ヒロシのおはよう一直線』など)を担当。他の所属アナウンサーやタレントも、ヒロシが休暇を取得している期間に上記の番組でパーソナリティ代理を相次いで務める(当該項で詳述)など、多数の番組に出演している。
その一方で、ラジオCMを中心に扱う広告代理業も営んでいて、一時はTBSラジオにおける代理店収入で電通・博報堂に次ぐ3位の座にあった。生島ヒロシによれば、ラジオCMを取り扱うようになったのは、TBS時代の先輩アナウンサーである大沢悠里からのアドバイスがきっかけとされる。TBSのアナウンサー時代からラジオパーソナリティとして長らく活動するかたわら、在職中の1980年代後半に個人事務所(大沢企画)を設立していた大沢は、自身の経験を基に「民放局ではスポンサーがいないと番組が終わってしまうから、どうせならスポンサーも自分(出演者自身)で確保すれば良い。ラジオ番組には喋り手(パーソナリティ)に対する(リスナーやスポンサーからの)シンパシーが強いから、(喋り手が)自分で(スポンサーを)回ったら確保しやすい」と助言。生島がその助言に沿って企業への営業に自ら出向き始めたところ、「会社にしろ、番組にしろ、『いい社員を雇うこと』『いいタレントを増やすこと』『応援して下さるスポンサーがいること』を『パッケージ』として成立させることによって物事が初めて動いていく」と実感するようになったという。
ちなみに、設立の当初から社名に「企画室」を入れているのは、生島ヒロシが将来の番組制作を念頭に置いていたことによる。現に、2021年10月からは、テレビ番組の制作事業に参入。BSテレ東と共同で、『守るをつくる』(5分間の情報ドキュメンタリー番組)の制作に参画している。
2024年4月現在
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