松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。
PL学園高校では清原和博、桑田真澄のKKコンビと同期、3年時には主将を務め、ともにPL黄金期を築いた。1985年春の選抜に三塁手として出場。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退。同年夏の選手権では二塁手に回る。この大会は順調に勝ち進み、決勝で宇部商を降し優勝を飾る。この試合でサヨナラヒットを放ち注目を集めた。同期では他に今久留主成幸、内匠政博がプロ入りした。
卒業後は青山学院大学へ進学。東都大学野球リーグでは同期のエース吉田直喜を擁し、1988年秋季リーグで創部以来106年で初のリーグ初優勝を経験翌1989年は1年下の奈良原浩と二遊間を組み活躍。同年秋季リーグでは、2年下の高校後輩である岩崎充宏(新日鐵名古屋)の好投もあって2回目の優勝を飾る。リーグ通算102試合出場、369打数87安打、打率.236、7本塁打、40打点。ベストナイン(二塁手)2回受賞。
1989年のドラフト会議では、オリックス・ブレーブスから5位指名を受け入団した。背番号は現役引退まで「4」から変更が一度もなかった。なかなか一軍に定着できなかったが(一軍出場なしは1991年のみ)1992年にはシーズン終盤の8試合に二塁手、三塁手として先発出場。1995年は福良淳一の故障欠場もあって14試合に先発するが、レギュラーには届かなかった。1998年限りで現役引退。
1999年から2001年まではオリックス一軍内野守備走塁コーチを務め、2002年は阪神タイガース一軍内野守備走塁コーチ、2003年から2004年までは阪神二軍内野守備走塁コーチを務めた。
2005年に再び一軍内野守備走塁コーチとしてオリックスに復帰し2011年9月16日以降は三塁ベースコーチから外され、10月29日に来季の契約更新をしないと通告された。
2012年からは韓国プロ野球・起亜タイガースの守備走塁コーチを務めるが、同年限りで契約終了となった。
2013年からは千葉ロッテマリーンズの二軍内野・守備走塁コーチに就任。2015年より一軍内野・守備走塁コーチを担当。2017年10月11日に来季コーチ契約を行わないことを通告された。
2017年11月9日、2018年より福岡ソフトバンクホークスの二軍内野守備走塁コーチを務めることが発表された。2021年は三軍内野守備走塁コーチ、2022年は再び二軍内野守備走塁コーチ、2023年は一軍内野守備走塁コーチを務め、2024年からは二軍監督を務める。
現時点では大学を卒業してプロ入り以降、彼の熱心な指導に各球団も評価が高く、一度も現場を離れたことがない。
1985年のドラフト会議で読売ジャイアンツから指名がなく、放心状態だった清原に最初に声をかけたのが松山だったという。気分転換にと二人でキャッチボールを行った。この二人は2006年から3年間、選手とコーチとしてチームメイトとなった。
長男もPL学園野球部に所属し、2012年には主将を務めPL学園史上初の「親子主将」となったが甲子園には出場できなかった。
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