山形市(やまがたし)は、山形県の中部東に位置する市。山形県の県庁所在地及び県内で人口が最多の市で、中核市に指定されている。1889年(明治22年)に市制施行。
山形城の城下町として発展してきた。市域は旧南村山郡・東村山郡(現在は村山地方)に属しており、当域を管轄する村山総合支庁の所在地でもある。県内人口最大都市であり、東北地方では、青森市に次いで8番目に人口の多い都市である。周辺11市町村と共に「山形連携中枢都市圏」を形成している。この参加市町村を山形都市圏とした場合、人口は約51万人で、東北地方では、仙台都市圏・郡山都市圏に次いで3番目に多い都市圏人口である。市の東側は奥羽山脈を挟んで宮城県仙台市と隣接しており、高速バスやJR仙山線で約1時間10分ほどでアクセスが可能である。
2020年1月に、県内唯一の百貨店であった大沼が閉店したことにより、山形県は全国で初めて百貨店がない県となった。
山形盆地の南部3分の1ほどを占め、盆地の東南部に位置する扇状地の上に市街地が立地している。盆地中央部である市の北、北西方向は広く平地が続き、広大な田園となっている。市の東部は奥羽山脈による山岳地帯、南西部は丘陵が占めている。
盆地に位置しており、夏と冬、そして1日の気温差が激しい。日本海側気候の特徴も併せ持ち、豪雪地帯に指定されているが、年間平均降雪量は285cm程度で、山形県内では少ないほうである。
夏季は35℃を超える猛暑日となることも珍しくなく、暑さは厳しい。ただ、1日の気温差が大きく、熱帯夜となることは少ないため、朝晩は過ごしやすい。
日最高気温の最も高い記録である40.8℃は、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市が40.9℃を記録するまで、74年間もの間、日本における最高気温の記録を保持していた。
冬季は曇りや雪の日が多い。冬の寒さも厳しいものの、山形市中心部はヒートアイランド現象により、最低気温の上昇が著しく、-10℃以下は1996年を最後に一度も観測されていない。一方、郊外にある村山、東根、左沢などの隣接アメダスでは、近年でも-15℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、郊外と山形市中心部の気温差が年々、非常に大きくなってきている。しかしながら、気象庁により、長期間の観測実績がある地点の中では、都市化の影響が比較的少ない地点として、日本の平均気温算出に使われている。
山形市では行政上、市内を30の地区に分けている。これらの区割りは、多くの場合、山形市と合併した旧自治体の範囲と名称を残しているが、合併時の経過や実用上の必要性から、改称や周辺の地域と統廃合された地区(例:南山形地区、西山形地区)がある。合併以前の山形市を中心とした範囲は、細分化され、第一地区から第十地区の各地区に分割されている。
山形市と上山市の市境付近にあたる、山形市南西部の丘陵に、ニュータウン(蔵王みはらしの丘)を建設している。これに合わせて西廻りバイパス(山形県道51号山形上山線)が延長され、国道458号長谷堂バイパスが開通するなど、交通環境も整いつつある。すでに分譲が始まっており、2006年(平成18年)3月に新しい小学校(山形市立みはらしの丘小学校)が開校した。
また、山形市内には公民館(コミュニティセンター、コミセンとも呼ばれる)が比較的多く存在し、地域コミュニティの拠点として利用されている。山形市と合併した町村の多くは旧自治体名をそのまま地域名としており、公民館の名前の冠となっている場合がある。また、市内の高校や中学の跡地を利用したものは、比較的広い敷地に、図書館や体育館、公園、市の管理する施設などが併設されている。
中央公民館は、複合施設「アズ七日町」内にあり、図書館分館やホールがある。
当市は宮城県の県庁所在地である仙台市と隣接している。両市の間には奥羽山脈(蔵王連峰)があるものの、経済的には一体的な商圏が形成されつつあり、その親密度は県内の他市町村との関係よりも強いものとされる。両市の間にはJR仙山線が1時間に1本、高速バスが1日90往復近く運行されており、通勤通学で両市間を相互移動する者も多い。
この他、宮城県川崎町とも隣接する。山形市との直通の路線バスはないものの、関沢地区のマイカー利用者を中心に山形自動車道や笹谷峠を利用した往来が見られる。
県内自治体では、南方で上山市と隣接し、北に天童市、北西に山辺町、中山町などの山形盆地の各市町と隣接し、それぞれ道路、鉄道によって接続している。東根市とは、奥羽山脈の山岳部で市域の境界を接するが、通常の往来には場合は天童市を経由した国道13号が用いられる。また、南陽市との場合も、直接市域の境界を接するのは白鷹山の山頂付近で通常の往来には上山市を経由して国道13号を用いるか、山形県道5号山形南陽線を用いる。
古墳時代の集落跡(嶋遺跡、国の史跡)が山形市北西部で見つかっている。8世紀に入ると出羽国最上郡が設置される。702年(大宝2年)には、国司の藤原豊光の娘・阿古耶姫によって千歳山と命名。967年(康保4年) に編纂された『延喜式』では、多賀城から秋田城へと向かう官道に「最上駅」があり、これは現在の山形市域にあたる「最上郷」のいずれかにあったものと推定されている。市域の大部分は皇室領荘園の大山荘であり、北西(須川以西)に摂関家領の大曾祢荘があった。 鎌倉時代に入ると大曾祢荘には安達氏が地頭として任じられた。土着した一族は大曾祢氏を名乗り、中央政界で引付衆などとして活躍するが霜月騒動により滅んだ。
1356年(延文元年)に、斯波兼頼が羽州探題として山形に入部。子孫は、最上郡の名称をとって最上氏を名乗るようになり、最上氏11代目当主の最上義光が山形を拠点に最上・村山地方を統一。現在の基礎となる山形城と城下町の町割を整備した。山形城が位置したのは扇状地の西端で、その東部を走る羽州街道に沿って七日町・八日町・十日町・旅籠町などの商人町、宿場町が並んだ。また、町人町は東方の笹谷街道、北西に向かう六十里越街道に沿って並び、東裏通りと北部には職人町が位置していた。なお、太閤検地のころ、南の最上郡と北の村山郡の名称入れ替えとともに再編が行われ、旧最上郡が村山郡に、旧村山郡の北部が最上郡、旧村山郡の南部が村山郡となった。
江戸時代初期に最上氏が転封された後は、鳥居忠政が山形藩主となって、馬見ヶ崎川の改修などが行われた。以後、幕末まで、保科氏、松平氏など複数の領主の入れ替わりが続き、天保の改革に失敗した水野忠邦の子忠精が山形に転封され、版籍奉還まで水野氏5万石が続くことになった。山形市西部の須川沿いの船町は、最上川水運において、中流域で有数の港であった。
廃藩置県後は、村山郡山形が山形県の県庁所在地となり、その後、複数の県の統合を経て、現在の範囲の山形県でも県庁所在地となった。
※:在職中死去
山形市内には、山形大学医学部附属病院と山形県立中央病院の2つの病院が三次医療機関として県全域をカバーする高度医療を提供するとともに、山形市立病院済生館・山形済生病院といった村山地方の基幹となる病院が位置しているほか、篠田総合病院・至誠堂総合病院などの民間の総合病院、さらには単科型の民間病院も複数設営されている。
中世から城下町として発展したが山形城の拡大に合わせて市町・職人町・寺社などの計画的な配置が行われた。近世に入ると職人町を土台として出羽三山参詣の拠点としての側面から、山形鋳物が土産物や仏具で全国的に有名になり、明治期発展の土壌が作られた。鉄道が開業して以降、工業と商業が両立して発展し、平成に入ってからは様々な経済の分野が目覚ましく成長している。高速道路網の発展と共に工場の立地が増え、山形新幹線開業に伴い県内外からの観光客が増加した。東日本大震災での太平洋側への被害によって日本海側の重要性が再認識され、拠点の一つとして注目されている。中心市街地にはホテルや外国人向けの観光案内所が数多くある。市民1人当たりの外食ラーメンに使う金額は全国1位を維持している。
(2020年国勢調査)
山形市に本店・支店・出張所などの窓口を置く金融機関一覧は以下のとおり(2021年(令和3年)3月時点)。
県内を範囲として活動しているメディアの本社機能が集中する。ただし、テレビユー山形については、県内で影響力のある山形新聞などの既存マスコミから距離を置く意味合いから、本社を酒田市としている。また、コミュニティ放送局は東北地方で最も早く開局し、一時は市内に2つの放送局が存在していた。なお、山形市役所屋上には山形コミュニティ放送の送信アンテナが設置されている。
山形県では、小学校の少人数学級編成を押し進める「さんさんプラン」(学級の人数を33人程度に編成する)を導入しているため、山形市立の小学校でも少人数学級が行われていることが多い。これにより多くの利点をもたらす一方で、財政的な負担が大きいことや、学級数の増加による教室不足などの問題が表面化している。特に山形市においては都市化が急速に進んだ地域や、児童数の多い大規模校などの教室不足が深刻な学校では、グラウンドに仮設の校舎を急増したり、多目的教室などのスペースを教室として利用するなどの対策を行っている。なお、この施策は、中学校にも導入された。
幼稚園は私立幼稚園が26か所ある。市立の幼稚園は存在しない。また参考として、保育園は私立は17か所、市立は12か所が存在する。
盲学校は山形市内になく、上山市にある山形県立山形盲学校が最寄りの盲学校となる。また、肢体不自由者を教育する養護学校や知的障害者を教育する養護学校は山形市内にはなく、最寄りの学校はいずれも上山市で、それぞれ山形県立ゆきわり養護学校、山形県立上山高等養護学校がある。
山形県立山形職業能力開発専門校
市内に空港はない。最寄りの空港は東根市にある山形空港である。同空港は、山形新幹線との競合のため、特に羽田空港便の運行本数が減っている。しかし、アクセス面では、国道13号に加え、近接する東北中央自動車道東根ICができたことで、より利便性が向上している。
隣接する宮城県の仙台空港も、路線数・便数が多いことや定期国際便があることから利用されることが多い。山形駅から公共交通機関を利用する場合は、仙山線を経由して仙台駅で仙台空港アクセス線に乗り継ぐ方法があるほか、山形 - 仙台空港の高速バスがある。山形市は周辺自治体などと連携し、仙山線と仙台空港アクセス線の直通運転の実現に向けて様々な施策を講じているが、運行主体であるJR東日本仙台支社が直通運転に難色を示しており、現在に至るまで山形駅からの仙台空港駅直通列車は運行されていない(団体列車を除く)。
山形駅は、いくつかの鉄道路線が集中しているターミナル駅である。
これらの鉄道駅は市内北方の郊外に点在している一方、市街地は鉄道路線や鉄道駅がない地域が多くを占めているため、市内移動は道路網を利用した方が利便性が高い場合が多い。
かつては山形から蔵王温泉を結ぶ蔵王高速電鉄が計画されていたが、未成に終わっている。
ロープウェイは、蔵王の山麓(蔵王温泉)から、山頂までを結ぶものである。蔵王温泉までの交通は、バス、自動車などを利用することになる。以下にゴンドラタイプのものを列挙するが、これらの他に、スキーゲレンデには多数のリフトが設置されている。
路線網では、山交バスが多くの路線を運行している。山形市を経由する都市間の高速バスでは、山交バスを初め、JRバス東北、東北急行バス、宮城交通、庄内交通、新潟交通などが運行している。また、山形商工会議所が運行していた「中心街100円循環バス」は、山形市コミュニティバス(ベニちゃんバス)と統合のため、2017年(平成29年)7月2日をもって運行を終了した。
都市間高速バスは特に仙台方面への路線が充実しており、1日90往復近い便が山形市内と仙台市内を相互に連絡している。一方、福島・秋田方面へ向かう長距離バスや、同じ山形県内でも置賜地方・最上地方を繋ぐ都市間高速バスは設定されていない。
市街地の道路は、城下町を土台とする町の特性から、市街地中心部など一部に、狭く丁字路の多い構造を残している。周辺市町村への移動には、国道、主要地方道が市街地から放射状に伸びる。また、2つの高速道路と、一般国道13号山形バイパスが市街地を迂回するように取り囲んでいる。
山形市にある国指定の文化財、省略あり。
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