市川真間駅(いちかわままえき)は、千葉県市川市真間一丁目にある、京成電鉄本線の駅である。駅番号はKS14。
かつての京成電気軌道の中枢部とも言える場所で、駅北側には京成直営の遊園地だった「東華園」(菊人形で有名)、京成電燈部事務所、本多貞次郎邸があった。京成電鉄診療所があり、「本多貞次郎頌徳碑」も残っている。
駅名は真間という地名に由来する。この地名は幕末期、歌川広重作『名所江戸百景』の一作「真間の紅葉手古那の社つぎ橋」に描かれており、継橋(つぎはし)は『江戸名所図会』『葛飾誌略』『葛飾記』に紹介され、「真間の手児奈(てこな)伝説」として『万葉集』の中で山部赤人らにより詠われた「真間の継橋」のことで、手児奈霊神堂南西方に現存する。現在の東京湾の海岸線が内陸寄りだった当時、この一帯はかつて「真間の入江」と呼ばれる海岸地帯で、蘆の生い茂った砂洲が広がっていた。 真間の継橋とは下総国の国府(国庁)があった国府台へ向かうための橋で、砂洲を中継地点として複数の板橋を架け渡してあったことからこの名を得たとされる。背後には田園風景が広がり、周囲は長閑な農村地帯となっていた。現在では住宅街になっており、かつての橋を記念して擬宝珠つきの真っ赤な欄干が建てられている。
当駅は、地元住民から快速の停車要望が高い。同様の施設を持つ千住大橋駅が緩急接続の観点から停車駅に指定されたのに対し、当駅は通過となっている。
島式ホーム2面4線の地上駅。
開業当初から島式ホーム2面4線だったが、ホーム延長など駅構内の改良により、後には待避駅機能が無くなって相対式ホーム2面2線の地上駅となり、駅舎も上下線別に有していたが、1972年の大規模駅改良工事完成後は、島式ホーム2面4線、橋上駅舎を有するようになり、現在に至る。
2008年3月15日にはホームとコンコースとの間にエレベーターが設置された。ホームにはLED発車標が合計4台が設置されている。
待避設備があるが、駅全体がカーブにかかっていることもあり、上りの本線(2番線)を通過する列車は大幅な徐行を余儀なくされている。
待避線の1・4番線は、以前は朝夕のラッシュ時に普通(各駅停車)が通過待ちを行う程度だったが、2006年12月のダイヤ改正以降、日中時間帯における普通の「スカイライナー」待避駅が船橋競馬場駅から当駅に変更され、しばらくは使用頻度が増えた。2010年7月17日の成田スカイアクセス開業のダイヤ改正時で、日中の使用頻度は再度減少した。
京成上野駅寄りには渡り線があり、非常時には折り返せるようになっている。
現在は普通のみが停車するが、現行ダイヤにおける快速が登場するまでは急行の停車駅であった(「快速の停車要望」参照)。ダイヤ乱れが発生した際に特急が臨時停車することがある。2009年11月28日に運行された臨時特急「ミラフォレスタ号」京成3300形3312編成は、当駅に10分程度停車した。
市川真間管区として、国府台駅と菅野駅を管理下に置いている。
2022年度の1日平均乗降人員は6,561人で、京成線内69駅中第44位であった。
近接するJR市川駅の総武緩行線・総武線快速の運行が止まると、当駅は振替輸送で大変混雑する。
近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通り。
当駅南口より、約600 mの位置には東日本旅客鉄道(JR東日本)の市川駅がある。なお、両駅間において連絡定期券の発売は実施していない。当駅・市川駅でJR総武線との並走区間が終了し、以西で京成高砂方面と錦糸町方面に分岐する。
駅東側には東京外環自動車道、国道298号、県道264号高塚新田市川線、駅南側には国道14号(千葉街道)、駅西側には県道1号市川松戸線が通る。
当駅付近は菅野駅と同じく、江戸時代からの豪商が別荘を構えたことから別荘地として栄え、第二次世界大戦後も文学者(後述)のお屋敷街を形成する高級住宅街となっていた。また付近は国府台女子学院や日出学園を始め大規模な文教都市・学園都市となっている(詳細は「市川市」参照)。真間川堤防には桜並木に加え、幸田露伴、永井荷風など当地に縁の深い文学者の碑文が並ぶ遊歩道がある。近年、周辺は市川駅方面にかけて多数の超高層マンションや中高層のマンションが林立している。
以下、総武本線より北側の施設等一覧(南側は「本八幡駅#駅周辺」を参照)。
「菅野六丁目」から、国分方面と市川総合病院方面に分かれる。現金につき市川駅 - 菅野六丁目まで100円(子供半額)。
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