星 美智子(ほし みちこ、1927年1月20日 - )は、日本の女優である。本名は庄野 礼子(しょうの れいこ)、旧芸名は星 美千子(読み同)。元子役である。
1927年(昭和2年)1月20日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。
1935年(昭和10年)、8歳の時に、戦前の日活のスターだった叔母・星玲子のいる撮影所に遊びに行ったところ、親戚に当たるマキノ雅弘監督に「チビ、映画に出てみろ」と言われ、これをきっかけに映画『少年靴屋』で子役デビューする。しばらく子役として活躍した後、学業に専念し、立教高等女学校(現在の立教女学院中学校・高等学校)に入学した。
1945年(昭和20年)、東京女子医大か、日本女子大の英文科への入学を志し、両校を受験するが失敗する。1946年(昭和21年)、前年に続き両校の受験に失敗する。その間に水戸光子復帰第1作『お光の縁談』に出演する。当時として高額のギャラをもらったことで、「女優も悪くないと気楽に考え始めた」と言い、大学進学を断念して映画界入り。以後、大映、松竹、新東宝などで映画に出演した。1953年(昭和28年)、東映に移る。東映入社後は助演が主だが、時代劇・現代劇を問わず大活躍し、多数の映画に出演した。後にテレビ映画にも進出した。1965年(昭和40年)に結婚、後に離婚した。
2010年(平成22年)11月25日、東京・池袋の新文芸坐で開催された『時代劇の至宝 中村錦之助=萬屋錦之介 あの雄姿、ふたたび(アンコール)! 錦之助映画祭り2010』のトークショーに出演、星のサイン会も開かれた。2012年(平成24年)公開の映画『俳優×監督=全力映画 「もはやないもの」』に出演、健在を示した。
父親は判事、叔母は女優の星玲子。映画監督マキノ雅弘は親戚に当たる。一女あり。
映画界入りのあと、現代劇から時代劇にまわったのは、本人によると「恥ずかしいことですが足がいささかガニ股でしてね、時代劇でないとさまにならないからです」とのことである。片岡千恵蔵の大ファンで、1957年(昭和32年)に『大菩薩峠』で共演した際には、「胸がドキドキして、演じるどころではなかった」と語っている。また監督の内田吐夢からは演技だけでなく、人生についても何かと教えてもらったという。
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