シッド・ビシャス(Sid Vicious、本名:Sidney Raymond Eudy、1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。アーカンソー州ウェスト・メンフィス出身。
2メートルを超える長身と筋骨隆々の肉体を誇り、シッド・ジャスティス(Sid Justice)、サイコ・シッド(Sycho Sid)などのリングネームでも活動。技術面は荒削りで素行の悪さでも有名であったが、その人間離れした体躯と風貌および存在感から、全盛期の1990年代はWWF(現:WWE)とWCWの両メジャー団体を行き来し、ヒールのトップスターとして活躍した。
セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスとは同名の別人(日本ではプロレスラーの方をシッド・ビシャスと表記しているため大きな混乱はない)。
日系レスラーのトージョー・ヤマモトのコーチを受け、1987年にデビュー。アイスホッケーのマスクを付けたヒールの覆面レスラー、ロード・ヒューマンガス(Lord Humongous)の名で、テネシー州メンフィスのCWAにて活動する。2月23日の初戦ではオースチン・アイドルと組み、ジェリー・ローラー&ニック・ボックウィンクルと対戦。以降もローラーをはじめ、ロッキー・ジョンソンやソウル・トレイン・ジョーンズと対戦した。
並行してNWAのアラバマ地区(CCW)にもベビーフェイスのポジションで参戦し、シングルでは1987年12月25日にNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を、タッグでは1988年7月18日にシェーン・ダグラスと組んでNWAコンチネンタル・タッグ王座を獲得。10月3日のバーミングハムでのイベントでは、ダグラスとのコンビでコキーナ&シカのアノアイ・ファミリーと対戦した。
1988年11月より、CWAにてホッケーマスクを脱いで素顔となり、シッド・ビシャス(Sid Vicious)と改名。超大型のヒールとして、ビル・ダンディーやジェフ・ジャレットと抗争した。同年12月10日には、ブライアン・リーからCWAヘビー級王座を奪取している。
1989年2月、ビシャス・ウォリアー(The Vicious Warrior)のリングネームで新日本プロレスに初来日。初戦となる2月22日の両国国技館大会において、藤波辰巳のIWGPヘビー級王座に挑戦した。来日中はスーパー・ストロング・マシーンや木村健吾を破り、アントニオ猪木や長州力とのシングルマッチも行われた。
帰国後、シッド・ビシャス名義で初期のWCWに移籍し、ダン・スパイビーとの巨人タッグチーム、ザ・スカイスクレイパーズ(The Skyscrapers)を結成。テディ・ロングをマネージャーに迎え、スタイナー・ブラザーズやロード・ウォリアーズと抗争するが、スタイナーズ戦での怪我により1989年11月から欠場を余儀なくされる(スパイビーはマーク・キャラスを新パートナーにスカイスクレイパーズを継続)。1990年下期に復帰してからは、スティングのWCW世界ヘビー級王座やレックス・ルガーのUSヘビー級王座に再三挑戦。リック・フレアー率いるフォー・ホースメンのメンバーにもなり、トップ戦線で活躍した。
1991年7月、当時引退を発表していたハルク・ホーガンの後継者候補としてWWFに引き抜かれる。当初はシッド・ジャスティス(Sid Justice)と名乗り、ベビーフェイスとして活動。テッド・デビアスをはじめ、ザ・ウォーロード、タイフーン、カトー、ザ・バーバリアン、ハーキュリーズなどから勝利を収め、ジ・アンダーテイカーやジェイク・ロバーツとも抗争した。しかし、1992年1月19日のロイヤルランブル'92での遺恨を発端にホーガンと仲間割れしてヒールに戻る。ロード・ヒューマンガス時代にもマネージャーを担当していたダウンタウン・ブルーノことハービー・ウィップルマンと再合体し、同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは「ホーガン引退試合」の相手を務めた(試合はパパ・シャンゴの乱入でホーガンの反則勝ち)。その後はアルティメット・ウォリアーと抗争するが、薬物検査での不正行為が発覚してWWFを解雇された。
1993年5月にWCWに復帰したが、同年10月28日、イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、アンダーソンの胸部と腹部をハサミで数箇所突き刺す事件を起こして解雇される(「アンダーソン事件 / Arn Anderson's stabbing incident」とも呼ばれる)。ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われる。
WCWを解雇された後、1994年からCWAの後継団体USWAに参戦して、ジェリー・ローラーとの抗争を再開。同年7月16日には(アングルとして)試合前に対戦相手のローラーを襲って負傷させ、不戦勝によりUSWA統一ヘビー級王者となる。以降、当時USWAと提携していたWWFのタタンカ、メイブル、アンダーテイカーらを挑戦者に迎え、1995年2月6日にローラーに奪還されるまで戴冠した。
1995年2月下旬より、ニュー・ジェネレーション期のWWFに再登場。前述の事件もあってか、狂人ヒールのサイコ・シッド(Sycho Sid)としての復帰だった(入場曲も映画『サイコ』の有名なシャワーシーンのBGMをイントロに用いていた)。当初はディーゼルに代わるショーン・マイケルズのボディーガードとして登場したが、4月2日のレッスルマニアXIでのマイケルズ対ディーゼル戦での連携ミスを発端に、翌日のマンデー・ナイト・ロウで仲間割れ。その後はテッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションのメンバーとなり、マイケルズ、ディーゼル、レイザー・ラモンらと抗争を展開。1996年11月17日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズ'96において、マイケルズを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得した。翌1997年はアンダーテイカーやストーン・コールド・スティーブ・オースチンの挑戦を退け、1月19日にマイケルズに奪還されるも、2月17日にブレット・ハートを下して再び戴冠。以後、前王者のブレットをはじめ、マンカインド、ベイダー、ハンター・ハースト・ヘルムスリーなどを相手に防衛戦を行い、3月23日のレッスルマニア13においてアンダーテイカーに敗れるまでWWF王座を保持した。その後はブリティッシュ・ブルドッグのヨーロピアン王座やオーエン・ハートのインターコンチネンタル王座に挑戦したが、同年6月に再びWWFを脱退。
以降、インディー団体への単発出場やECWへの短期参戦などを経て、1999年7月よりWCWに復帰。メデューサやミス・マッドネスらと共にランディ・サベージ率いる「チーム・マッドネス」のメンバーとなる。ミレニアム・マン(The Millennium Man)と名乗り、9月12日にクリス・ベノワからWCW USヘビー級王座を奪取。10月24日にビル・ゴールドバーグに敗れてタイトルを明け渡すも、2000年1月24日にはケビン・ナッシュとの王座決定戦を制してWCW世界ヘビー級王座を獲得した。翌25日にナッシュがコミッショナー権限を悪用して剥奪するが、同日にナッシュ&ロン・ハリスとの3ウェイ金網デスマッチに勝利して奪い返し、4月10日にエリック・ビショフらがWCWの全タイトルを空位にするまで戴冠した。ハルク・ホーガンの結成したミリオネアーズ・クラブにも参加したが、2001年1月、試合中に脚を骨折して以降は半ばセミリタイア状態となった。
2002年、オーストラリアのWWAにコミッショナーとして登場。ツアーにも同行した。2004年6月12日、モントリオールのIWS(インターナショナル・レスリング・シンジケート)において、ピエール・カール・ウエレと組んでタッグチーム・ロイヤルランブルに出場。久々のリング復帰を果たした。
以降、2007年から2010年にかけて、JCWやメンフィス・レスリングなどのインディー団体にゲスト出場。トゥー・コールド・スコーピオ、ラジ・シン、ジム・ドゥガン、Xパック、チェイス・スティーブンスとも対戦した。2008年11月7日には、かつてUSWAで抗争を展開したジェリー・ローラーのレスラー生活35周年記念試合の対戦相手も務めた。
2012年6月25日、WWEのRAWに登場。ヒース・スレイターを得意技のパワーボムで倒し、およそ15年ぶりにWWEのリングで白星をあげた。
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