皇位継承問題(こういけいしょうもんだい)は、日本の天皇の位(皇位)を継承(皇位継承)しうる人数が、2000年代以後に極端に少数になったことに起因する問題。関連事項に皇室典範問題(こうしつてんぱんもんだい)、女系天皇問題(じょけいてんのうもんだい)がある。
平成16年(2004年)、小泉純一郎内閣総理大臣の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が設置されたことにより関心が高まった。以降、平成18年(2006年)の悠仁親王の誕生と令和3年(2021年)菅義偉内閣による『天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議』の開催を経て皇位継承資格者の少なさを解消する方法について、議論が続いている。
日本の皇室において、「天皇としての皇位継承は、初代天皇から繋がる男系(父系)の者がこれを継承する」という原則によってなされてきたとされる。(万世一系)
「男系(だんけい)」または「父系(ふけい)」とは、該当人物から父方の先祖を辿ってゆくと歴代天皇、究極には初代天皇に辿り着くことを意味する(該当人物本人の性別はここでは関係しない)。この原則は、明治時代以降に皇室に関する法が皇室典範(旧法、現法)として成文化された際にも引き継がれ、以下の条文が明記されている。
つまり、現行の制度上において皇位継承が断絶することなく継続していくには、「男性皇族(親王および王)が配偶者女性との間に、男児を出産すること」が前提条件である。言い換えると、男児が一人も誕生しない状況が数十年続き、出産に適した年齢(もしくはそれ以下の年齢)の男性皇族とその配偶者女性が不在になれば、将来的には皇位継承者は不在になり、皇室が自然消滅(皇統断絶)することになる。平成中期に実際にこの事象が発生し、皇統断絶の危機が発生したことにより、議論が行われるようになった(後述)。
2000年代以後顕著になったこの問題は、「1947年(昭和22年)10月14日の11宮家51名の皇籍離脱」に端を発している。
この問題が発生したときの解消策として、論理的には二つの主な対策が考えられうる。実際に、平成中期の皇統断絶の危機の際にもこの両案が議論の俎上に上がった。
以下、この両案の概要について記述する。
歴史的には、天皇と遠縁の男性皇族が皇籍を離脱(臣籍降下)して臣下(民間人)となった例は多い。彼ら(離脱した本人及びその男系子孫、一般的に「旧皇族」または「旧宮家」と呼称される)は、初代天皇の男系/父系の血筋を有している(皇統に属する)ことから、「(彼らが)皇籍復帰することにより、皇位継承者の将来的な不足を回避するべし」という案がある。
臣籍降下による旧皇族の誕生は歴史的には不断に行われてきたが、平成後期からの皇位継承問題の議論にあたって言われている旧皇族とは、敗戦により昭和22年(1947年)に皇籍離脱した世襲親王家・伏見宮及びその分家の子孫で明治典範により皇族とされていた人達を指すことが多い(*実際の皇籍離脱は日本国憲法と新皇室典範施行後)。
特にこれらの旧皇族が重要視される理由は、以下の点である。
*なお、旧皇族が臣籍降下前に公布された現行皇室典範第二条二項の「最近親の系統の皇族」とは旧皇族のことを指しており、法的経緯を踏まえると、旧宮家の男性を皇位継承の「特別な有資格者」とみなすことができるという見解もある。
※令和5年11月15日、内閣法制局は衆院内閣委員会で、皇統に属する男系男子を皇族とするのは、門地(家柄)による差別を禁じた憲法14条に抵触しないとの見解を示した。安定的な皇位継承策を巡り浮上する皇族の養子縁組を認め、旧皇族男系男子が皇族復帰する案に関し「憲法14条の例外として認められた皇族という特殊な地位の取得で、問題は生じないと考えている」と答弁した。
このように、皇室の成員、天皇の属性について、従来の原理原則(男系)(万世一系) を守ったうえで、現皇族の外の者の潜在的な皇位継承権を復活させようというのが、旧皇族復帰論の論旨である。
更に、別の復帰対象者(旧皇族)として、いわゆる皇別摂家による皇位継承の可能性なども言及されることがある。
旧皇族以外にも男系の子孫は数多くいるが、その中でも18世紀の関白・鷹司輔平は閑院宮家から鷹司家の養子として臣籍降下しており、現皇室との男系の近さでは、旧皇族よりも近い。
しかし、多くの皇籍復帰賛成論者は皇別摂家の復帰を斥けている。理由は、以下の点である。
女系天皇(じょけいてんのう)または母系天皇(ぼけいてんのう)とは、男系(父系)でない人物が天皇となることを指す。
具体的には、現状では女性皇族(内親王および女王)が民間の男性と結婚したとき、従来ならばその時点で女性皇族は皇籍離脱、相手の男性も皇族にはならず、間に生まれた子供およびその子孫も民間人のままである。これを改め、女性皇族は引き続き皇族となり、逆に相手の男性が新たに皇族となり、間に生まれた子供およびその子孫も皇族であり、場合によっては皇位も継承する、というものである。
この時、女性皇族は結婚後の皇籍離脱有無にかかわらず初代天皇の男系子孫であるが、彼女と民間人男性の間に生まれた子供は、男系では民間人男性の系統になるため、民間人男性が初代天皇の男系子孫でなければ、初代天皇の男系子孫ではない。そのため、この子供(あるはその子孫)は、従来の初代天皇男系の血統(皇統)に属さない、新しい血統の皇族(いわゆる「女系皇族」)になる。更に、将来的に皇位を継承した場合は、史上初めて、初代天皇の男系子孫ではない天皇(女系天皇)が誕生することになる。(万世一系の断絶)
このように、皇室の成員、天皇の属性について、従来の原理原則(男系)を改め、現皇族およびその子孫の中で皇位継承権の付与の条件を緩和しようというのが、女系天皇論の論旨である。
また混同されがちであるが、過去に女性天皇は存在したがその全てが男系である。「女系天皇」は歴史上一度も存在したことがないことに注意が必要である。
令和6年4月に実施された共同通信社による全国世論調査では、女性天皇に9割、女系天皇に8割の対象者が賛成した。
昭和22年(1947年)10月24日、皇族の大半が皇籍を離脱したことによって皇室の成員が大幅に減少した。更に、昭和40年(1965年)に礼宮文仁親王が誕生して以降、昭和後期から平成中期にかけて、皇室に男児が一人も誕生しなかったことにより、上述の皇統断絶の危険性が発生した。平成16年(2004年)末に公の議論が始まった段階で、男性皇族の最年少の文仁親王は39歳であった。
※名前右の()内に当時の年齢、名前下に当時の皇位継承順位併記。
愛子内親王誕生後、悠仁親王誕生前の時点であった平成16年(2004年)12月27日、政府は皇位継承問題について、皇室典範の改正(女性天皇及び女系天皇を認めること)までを視野に入れて検討するための有識者による懇談会の設置を決める。翌平成17年(2005年)1月26日、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、「有識者会議」)を設置し議論を開始(吉川弘之座長)。会合では、皇位継承原理の案として以下の4案が提示された。
7月、有識者会議は中間報告を発表し、皇位継承範囲の拡大を提唱するとともに「女性天皇及び女系天皇の容認」案及び男系継承の伝統を守る立場から「旧皇族の皇籍復帰による男系男子継承の維持」の2案を具体案として提示した。有識者議会はあくまで「私的諮問機関」であり法的拘束力は有さなかったが、小泉首相が「その最終報告を尊重する」と表明していたため動向が注目された。
10月、有識者会議は女性天皇および女系天皇(母系天皇)容認の最終指針を打ち出すための調整に入った事が明らかになった。10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を皇族女子と「女系皇族」へ拡大することを決めた。吉川座長は同日の記者会見において「現行の皇室典範で安定的な皇位継承ができるかどうかを議論したが、将来、後継者不足が生じることは明らかだ。憲法で定められた皇位の世襲を守るのが、女子、女系への拡大だ」とその理由を説明した。小泉首相は同日夜の記者会見で、皇室典範改正の方向ですでに準備に着手していると述べた。
11月24日、有識者会議は、象徴天皇制の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書をまとめ、首相に提出した。同会議では旧宮家の男系男子を皇族の養子とする案について「どの方の養子となるかにより継承順位がかわることになるので、当事者の意思により継承順位が左右されることになる」「どうしても当事者の意思が介在してしまい、一義性に欠けることになる」など皇位継承の安定性の観点から否定的な意見が強く、また、男系の血統の保持についても「男系男子だけによる継承が行き詰るということは、はっきりしている」などの消極的意見が大勢を占めた。この報告書の背景には「女性天皇・女系天皇を容認して、皇位継承者の範囲を拡大すべき」とする考えがある。
この年の11月30日、男性皇族で最年少の文仁親王が40歳になり、30代以下の男性皇族が不在になった。
寬仁親王は、従来より女系天皇容認の動きに反対であり、2006年(平成18年)1月3日付の毎日新聞、雑誌『文藝春秋』2006年(平成18年)2月号のインタビューでも同様の見解を表明していたが、そのような見解は有識者会議の結論には反映されず、平成18年(2006年)の通常国会において、有識者会議での議論を基に、女系天皇への道を開くことになる皇室典範の改正が議論される予定であった。しかし、同年2月、文仁親王妃紀子の第3子懐妊が発表され、皇位継承問題についての議論は先送りされる。
同年9月6日、秋篠宮妃紀子が第1男子(1男2女のうち第3子)の悠仁親王を出産。これにより、皇位継承問題についての大前提が変わることとなった。同時期、小泉純一郎首相は自由民主党総裁の任期満了とともに退任し、後任の安倍晋三首相は「静かに慎重に論議していくことが大切だ」と述べ、有識者会議の報告書を基にした女系天皇の議論は完全に白紙撤回された。
平成24年(2012年)、野田内閣(野田佳彦首相)は女性宮家の制度についての検討を行った。これは、皇族の減少により皇室の活動(公務など)に支障が発生するのを回避するため、一般人と結婚した女性皇族が皇籍を離脱せず、皇族の立場で引き続き公務を行えるようにするものである。この議論は、野田内閣が年内に内閣総辞職したため、本格的な議論にはならなかった。
平成31年(2019年)3月20日、参議院財政金融委員会質疑において大塚耕平(国民民主党)が皇位継承問題について政府の方針を質したところ、安倍晋三首相は「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討する」という旨の答弁をした。また、東久邇家の男系男子の有無の確認を質問された野村善史宮内庁長官官房審議官は「子孫につきましては、具体的に承知していない」と答弁した。
令和元年(2019年)5月1日、前日4月30日の天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行により第125代天皇明仁は譲位して上皇となり、皇太子徳仁親王が皇位を継承して天皇となり、その弟の秋篠宮文仁親王が皇位継承順位第1位(皇嗣)となった。翌令和2年(2020年)11月8日、文仁親王は立皇嗣の礼により正式に皇嗣(皇太子に準ずる)となった。
令和2年(2020年)に執り行われた立皇嗣の礼の後、政府は安定的な皇位継承策を巡り、有識者会議を設置する方向で検討に入った。
令和2年2月19日には衆議院予算委員会で日本維新の会の藤田文武が旧宮家と現皇室の親戚関係について質問し、宮内庁次長の池田憲治は
「上皇陛下と久邇宮家との関係については、上皇陛下のお母様であり、大正十三年に昭和天皇とご結婚された香淳皇后が久邇宮邦彦王のお子様でありまして、上皇陛下と邦彦王のお孫様である久邇邦昭様とはいとこの関係にございます。また、上皇陛下と東久邇宮家との関係についてお尋ねがございましたが、上皇陛下のお姉さまである成子内親王は、昭和十八年に東久邇宮盛厚王とご結婚されています。そのお子様である東久邇信彦様は天皇陛下のいとこに当たられます。また、明治天皇と竹田宮家との関係でございますけれども、明治天皇のお子様である昌子内親王は明治四十一年に竹田宮恒久王とご結婚をされております。また東久邇宮家につきましては、明治天皇のお子様であります聰子内親王が、大正四年に東久邇宮稔彦王とご結婚をされております。」
と現皇室と旧宮家に親戚関係があり現在でも親睦会等を通じて定期的に交流があることを認めている。
令和2年(2020年)12月14日、加藤勝信官房長官は記者会見で、安定的な皇位継承策の議論の在り方に関し「静かな環境で検討が行われるよう配慮する必要がある」と強調し、急がない構えを強調し、令和3年(2021年)3月23日に、菅義偉内閣の下、首相官邸において、安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議の初会合が開かれた。(以下)
令和3年(2021年)、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議が開催された。メンバーは以下の6名。
同会議の報告書では、2004年(平成16年)の小泉内閣時代に行われた「皇室典範に関する有識者会議」における皇位継承の議論の内容は全面的に更新され、
①内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する
②皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする
③皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とすること
の三案が政府案として決定され令和3年(2021年)12月22日に岸田文雄首相に提出された。この政府案をもとに、各党へ議論の要請が行われた。
自民党は2022年(令和4年)1月24日に麻生太郎を座長(座長代理:茂木敏充)とする「皇室問題等についての懇談会」の初会合を行った が、2回目以降が開催された形跡はない。
日本維新の会は2022年(令和4年)4月14日に政府の有識者会議が示した、旧皇族の男系男子を養子に迎える案を実現すべしとした意見書を藤田文武幹事長らが細田博之衆院議長に提出した 。
2023年(令和5年)11月10日には自民党は再び岸田文雄総裁直属機関として「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」(会長:麻生太郎)を設置し初会合を開いた 。
2023年(令和5年) 11月15日、内閣法制局の木村陽一第1部長は衆院内閣委員会で、皇統に属する一般国民から男系男子を皇族とするのは、門地(家柄)による差別を禁じた憲法14条に抵触しないとの見解を示した。安定的な皇位継承策を巡り浮上する皇族の養子縁組を認め、旧皇族男系男子が皇族復帰する案に関し「憲法14条の例外として認められた皇族という特殊な地位の取得で、問題は生じないと考えている」と答弁した。
2023年(令和5)年12月、内閣総理大臣の岸田文雄はジャーナリストの櫻井よしことの誌上インタビューにおいて「私は一昨年の総裁選において、旧宮家の男系男子が皇籍に復する案も含め、女系天皇以外の方法を検討すべしと主張しました。そのときの約束を反故にすることはありません」と述べている。 また岸田文雄総理は桜井よしこに皇位継承策のスケジュールを訪ねられた際に、時期を明言することはできないが、「今後は”見える形”で議論を進めていく旨を回答している。
2024年(令和6年)3月15日、岸田政府は安定的な皇位継承の確保を担当する内閣官房参与と皇室制度連絡調整総括官に山崎重孝を任命した。同氏は2021年9月に両ポストに就いていたが、昨年9月に退任しており、今回の起用は再任となる 。
自民党は3月18日に「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」(会長:麻生太郎)の第2回目の会合を開き女性皇族の婚姻後の皇族身分保持案を議論したが反対意見は出なかった 。
2024年(令和6年)3月19日、立憲民主党は女性宮家を柱とした「立憲民主党安定的な皇位継承に関する検討委員会論点整理」(委員長、野田佳彦)を額賀福志郎衆議院議長に提出した 。3月25日には尾辻秀久参院議長にも立憲民主党案が提出された 。
続く3月22日には国民民主党(玉木雄一郎代表)も女性皇族の結婚後の身分保持と旧皇族の男系男子養子案の両論を盛り込んだ同党の案を公表した 。国民民主党の同案は3月28日に額賀衆院議長に報告された 。
3月26日には公明党(北側一雄中央幹事会会長(副代表))が女性皇族の身分保持等の案を党内で合意したとして、近く両院議長に提出する方針を示した 。
小泉純一郎内閣時代の有識者会議と同時期、宮内庁においても皇位継承問題について議論が行われていた。
宮内庁案では、「男系男子をもって継承することを原則とするが、やむを得ない場合のみ女性天皇・女系天皇を容認する」という内容であった。
小泉純一郎内閣時代の有識者会議の結論に対しては、言論界からは強い反発があり、特に女系天皇も容認しようとする同会議の姿勢に対しては、「なし崩し的である」との強い疑問の声も上がった。
有識者会議には、単なる男女平等論調の観点から意見を述べた委員が複数存在したことも判明し、また「結論を急ぎすぎている」と同指針に対する批判も相次いだ。
平成17年(2005年)10月6日、「皇室典範問題研究会」(代表:小堀桂一郎)が結成され、「男系継承の皇室の伝統を維持するために、旧皇族の復帰を検討するべき」「現在の皇族の方や、旧皇族の方からも意向を伺うことが大事」等の声明を発表した。同年10月21日には女系天皇の容認に反対する「皇室典範を考える会」(代表:渡部昇一)が結成された。これらの識者は、「旧皇族の皇籍復帰によって男系の皇統を維持すべし」と主張している。
以下、皇位継承を巡る議論について記載する。
日本国憲法第3条、第4条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とあり、天皇が政治的案件に対する具体的発言を公にすることは控えられるようになっている。皇族(皇族とは皇室に属する者の内、天皇および上皇以外の者を指す)が発言することについて規定している法律はないが、憲法第4条の規定は皇族にも及ぶとの解釈が一般であり、皇族自身も戦後は政治へ介入することを極力避けてきた。そのため、皇族、ましてや天皇が皇位継承問題について具体的な意見を述べることは、極めて少なく、一部の皇族を除いては、具体的な解決方法にまで踏み込んで言及することは避けることが多い。主な発言について、時系列順に記載する。
旧皇族の多くは、皇位継承問題が議論されるようになった頃から、メディア等の取材に対しても、ノーコメントを通している。
なお、旧皇族が皇位継承問題について言及した例がある。
旧皇族(旧宮家)の宗家である伏見宮は、1911年(明治44年)に非正統・歴代外とした北朝の天皇に由来している(伏見宮の祖は、北朝3代〈江戸時代までは98代〉崇光天皇の皇子伏見宮栄仁親王。その成立・存続は北朝初代〈江戸時代までは96代〉光厳天皇の配慮によるところが大きい)ため、しばしば問題視される。
この問題に関して日本近世史学者である野村玄は、現実的に北朝の皇統を戴き、旧皇族・女性皇族のいずれにせよ皇室制度維持は北朝の子孫の活用無くしては不可能であり、南朝正統論による皇統理論は論理的に困難であるとした。そして、南朝正統が歴史的事実と大きく乖離していることを挙げた上で、明治天皇の南朝正統の勅裁が天皇自身によって敢えて曖昧な形でなされていることを指摘し、それであれば歴史的事実に即した系譜の整理は可能であると、皇位継承問題における北朝天皇の歴代天皇復帰の必要性を示唆している。(→南北朝正閏論)
皇室では長らく、日本独自の一夫多妻制であった側室制度(非嫡出男子の皇位継承権)が認められており、旧皇室典範の下でも規定があった。しかし、大正天皇は側室を持たずに皇后との間で男子に恵まれ、昭和天皇も同様であった。そして、戦後制定された皇室典範では庶子については規定を置かないことになり、非嫡出男子の皇位継承権は認められないこととなった(皇室典範第2条)。
そして、このかつての側室制度を復活させることにより、皇位継承問題についての問題が緩和されるのではないか、との議論が一部存在するが、現在の日本では側室制度や一夫多妻制が制度化されておらず、さらに婚外の恋愛(いわゆる不倫)そのものに対する世論の反感が大きいことから、賛同者は少ない。
ただし、側室復活の論議に関わらず、今日に至るまで日本の皇室において「非嫡出子の相続」そのものが認められていない。この制度は明治以降に導入されたものではなく、戦後に初めて導入されたものである。そもそも側室制度は明治以降の皇室典範に明記されたものではなく、非嫡出の男子においても皇位継承権を認めることにより間接的に許容されたものであった。
一方で民間においては、2013年12月の民法一部改正(平成25年12月11日法律第94号)までは非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする規定(旧・900条4号)が設けられていた。しかし、この規定については2013年9月4日に最高裁大法廷によって違憲判断が下された ことにより、相続差別は違憲として法改正が成されている。
しかしながら、皇室においては側室制度と切り離せない非嫡出子の相続規定においては議論が進んですらいないのが現状である。また、日本では父子関係は認知による関係構築がDNA鑑定などの科学的な親子関係証明に優先されるため、「父親」にあたる皇族の認知如何では、血縁上皇統でない人間が皇位継承者となる恐れが存在する。
この数年間、皇位継承問題についての世論調査は全国紙や通信社、テレビ局等のマスメディアによるものに限定しても計10回以上実施されている。
有識者会議の報告書提出を受けて、『毎日新聞』が2005年(平成17年)12月10日、11日の両日に行なった全国世論調査(電話)でも、皇位継承原理について「女系も認めるべし」が「男系を維持すべし」を大きく上回っている。
しかし「女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべしと思いますか、自分の意思で皇族から離れられるようにすべしと思いますか」との質問については「自分の意思で離れられるようにすべし」が、「皇族にとどまるべし」を大きく上回り、賛否の割合がほぼ逆転している。
2010年、第125代天皇明仁の即位20年に当たってNHKが実施した皇室に関する意識調査(2009年10月30日 - 11月1日電話調査)では、2043人の回答者のうち、女性天皇に賛成77%、反対14%で、2006年2月の調査に比べて賛成がやや増加した。
年齢別では若年層ほど賛成の比率が多かった。また「女系天皇の意味を知っているか」という質問に対しては「よく知っている」8%、「ある程度知っている」43%、「あまり知らない」33%、「全く知らない」12%で、このうち「よく/ある程度知っている」人を対象に女系天皇を認めることの賛否を質問したところ賛成81%、反対14%であった。
2019年4月の時事通信の世論調査では、「男系男子に限られている現在の皇位継承資格を、女系・女性皇族にも広げるべきか」を尋ねたところ、「広げるべし」が69.8%だった。「広げるべくはない」は11.2%、「どちらとも言えない・分からない」は19.0%だった。また、同年5月1,2日に共同通信社が実施した全国緊急電話世論調査によると、女性天皇を認めることに賛成は79.6%で、反対の13.3%を上回った。
令和4年(2022年)における最新のNHKの世論調査では「旧皇族の男系男子を養子に迎える」という案について、賛成が41%、反対が37%と、男系による皇位継承の案が女系容認を上回った。また、年代別で見ると18〜39歳までの若い世代の賛成が57%で一番多かった。
昭和22年(1947年)に皇籍離脱した11宮家。この家、令和3年現在では6宮家で男系子孫が存在している。
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