魚津市(うおづし)は、富山県の東部に位置する市である。1952年(昭和27年)市制施行。
魚津市は、富山市の市街地より北東に約22 kmに位置する日本海(富山湾)に面した都市である。
旧越中国の一部であり、かつては北陸街道の宿場町、富山湾の港町、魚津城等城郡の城下町、寺社群の門前町、商業・産業都市として栄えた。その後新川地方中核都市圏である魚津都市圏の中心都市となり、『平成の大合併』以前は富山県内では富山市、高岡市、氷見市に次ぐ4番目の人口を擁していたが、平成の大合併の交渉にことごとく失敗したことで、2023年10月時点では8番目の人口規模にまで転落することとなった。
市内の多くが立山黒部ジオパークである。沿岸地域は世界で最も美しい湾クラブに加盟した富山湾に面し、蜃気楼、ホタルイカ、魚津埋没林(国の特別天然記念物)が有名。また、漁業が盛んであり、北洋漁業の根拠地となっている。ホタルイカが水揚げされる富山市から魚津市にかけての富山湾沿岸は、特別天然記念物に指定されている。周辺都市に比べ大型の郊外型商業施設の出店が多い。また、あいの風とやま鉄道線と富山地方鉄道本線の乗り換えが可能なため、立山黒部アルペンルートや黒部峡谷鉄道(トロッコ電車)など観光地への交通の要衝であり、乗り換え客や宿泊施設が多い。
市名は、大道、魚堵(をど)→小戸ヶ浦(をどがうら)→小戸(をど)→小津(をづ)と変わったのが、小戸ヶ浦の称していた頃の住人である高円、久和の2氏が、当地で開発した漁法によって魚が多く獲れるようになった結果、魚の産地ということで1595年(文禄4年)4月に「魚津」となったのが由来である。また現在は「うおづ」であるが、戦後すぐまでは「うをづ」と表記しており、昔は「を」を「うぉ」と発音した時期があったことから、「表記:をづ(発音:うぉづ)」から「うおづ」になった可能性がある。一部の地元住民の発音では「うぉーづ」と聞こえる。ローマ字表記ではUODU(うおづ)ではなく、UOZU(うおず)となる。
市のマスコットキャラクターは「ミラたん」で、2012年の市制60周年に合わせて一般公募により採用された。
魚津市章は、カタカナの「ウ」を主題とした構想で、「ウ」の三方に突き出すのは市勢の飛躍的発展と、本市が世界に誇る三大奇観の蜃気楼・埋没林・ホタルイカを表わしたものであり、さらに友愛・誠実・健康の三大美点を象徴させている。波頭は、日本海の良港を表わすとともに「津」の感覚を盛り、波型を円に作図して市民の融和・団結を表示したものである。(昭和32年制定)(魚津市役所より) ※なお、特記事項に添付されている画像は市章のみであり、実際の旗とは寸法や位置が異なる場合がある。
新川平野のほぼ中央(富山平野の東部であり、黒部川扇状地の西部)に位置する。また糸魚川静岡構造線の糸魚川より約53km西に位置する。同市は北西から南東に向かって細長く展開しており、北西には蜃気楼を見ることができる富山湾が広がっている。昔から良港として船の出入りが多く、魚介類の種類も豊富な漁場となっている。南東部は最大標高2,415mに達する山岳地帯となり、毛勝山付近の一部は、中部山岳国立公園に指定されている。市内からは、飛騨山脈(北アルプス)立山連峰をはじめ、日本三霊山の1つである立山や、日本百名山の剱岳、薬師岳、白馬岳など3000m級の山々を望むことができる。さらに後立山連峰の朝日岳や雪倉岳、鉢ヶ岳なども眺望できる。また沿岸部からは湾岸沿いの地域を望むことができ、富山市の牛岳温泉スキー場、高岡市の二上山、石川県の能登島・能登半島まで望むことができる。
市域の地形は、山岳部、丘陵地、台地・段丘、扇状地、低地、埋立地に分けられる。市内の大半は緩やかな傾斜をしており、魚津駅北部を軸に馬の背のような地形をしている。同市の沿岸部は、富山湾の中でも特に海底が急激に深くなる地形をしており、海岸線は大昔からほとんど変化していない。また海岸線とほぼ並行する形で魚津断層が走っている。
僧ヶ岳、駒ヶ岳、毛勝三山(毛勝山、釜谷山、猫又山)、大明神山、天神山(松尾山)、白倉山、松倉山、大杉山、滝倉山、大猫山
ケッペンの気候区分によれば、魚津市の気候は温暖湿潤気候(Cfa)、山間部は亜寒帯湿潤気候(Df)である。また、温帯混合林であるため常緑・落葉広葉樹林と針葉樹林が混在しているほか、山岳部は高山植物が生育している。 日本海側気候で、太平洋側と比較して湿度が高い。特に冬には雨・雪が降る日が多い。比較的好天が多いのは4月 - 5月と9月 -10月である。夏にはフェーン現象が起きて最高気温が35℃を超えることもある。梅雨の影響は太平洋側と比較して少ない。台風が直撃することはあまりない。
富山県内では、蜃気楼が発生する確率が高い春先になると、テレビの天気予報内で蜃気楼情報が出される。富山湾では特に魚津市から多く見ることができる。また、夏は市内からの立山眺望情報も予報される。
片貝川、早月川、布施川、角川、鴨川(神明川)、小川寺川、坊田川、大座川、入川、中川
同市は水の循環が一つのまちで完結している。水深1000m超の富山湾から標高2400m以上の立山連峰に連なる山岳に至るまで、直線距離でわずか25kmしかない急峻な地形をもつ魚津市では、毛勝山や僧ヶ岳などの山間部へ降り注いだ雨や雪が、片貝川や早月川もしくは地下水となって扇状地を流れて富山湾へと注ぐ。海へ帰った水は雲となり再び雨や雪となる。豊かな自然に恵まれた同市はこの水循環の恩恵を受けて成り立っているといえる。今でも市内には井戸水(地下水)を利用する家庭がいくつもある。地域によっては自噴する場所もある。特別天然記念物の魚津埋没林も、この冷たい地下水によって海水の侵入が防がれて良好な保存状態で保たれた。
総面積に対し平野部の面積が少なく、多くが山間部であるため、市街地および居住地域は沿岸部に隔たっている。国道、高速道路、鉄道路線が比較的沿岸部に近い地域を海岸線と平行して走っている。市域の中心的な駅は魚津駅で、近隣に市役所が所在する。旧市街地は富山地方鉄道電鉄魚津駅周辺で、鉄道路線が高架化されている。
同時代中期以降に東日本を中心に多くみられる女性を象った土偶が出土している。その他、縄文土器(火焔型土器など)、押形文土器といった土器や、東北地方や新潟県、中央高地(長野県)から持ち込まれた土器が出土している。
市内で使用される地区名は、旧町村で区分される場合と小学校区で区分される場合がある。以下の太字は旧町村による区分。
東部とは魚津市立東部中学校通学域を指す。
西部とは魚津市立西部中学校通学域を指す。
かつて栄えた商店街もシャッター通りと化し賑やかさはない。各種郊外型商業施設の開店と後継ぎがいないことなどが原因である。そのため、チャレンジショップ事業を行っている。
なお、昭和50年代後半には、全国の主要都市の人口に対する飲食店数が、魚津市は神奈川県横浜市に次いで全国2番目であったという。
いずれも1989年までに閉館しており、2020年現在、魚津市内に常設の映画館は存在しない。
上記以外にも、かつては石川銀行や岐阜相互銀行の支店も所在していた。
小学校については、2023年度までに4校に再編される予定。
以前は、あけび(山女)保育園、魚津市立魚津愛育園も所在していたが廃止。
以前は、こばと児童センター(1982年3月 本町に完成)も所在していたが、2018年3月31日に閉館。
魚津市内の中学校、小学校、市立幼稚園を対象に学校給食(副食)を調理し、配送している。魚津市における学校給食は完全給食で、米飯(準ずる加工食品を含む)またはパンとミルク、おかずである。 米飯、パンとミルクについては業者に委託しており、委託業者からそれぞれの学校に直接配送されている。
中心となる駅はあいの風とやま鉄道魚津駅である。あいの風とやま鉄道魚津駅と富山地方鉄道新魚津駅は地下道を利用して乗り換えが可能。また、旧市街地の中心には富山地鉄の電鉄魚津駅が存在する。
高速バス(魚津IC内バス停)
路線バス
レンタサイクルステーション
営業時間
北陸自動車道
国道8号
富山県道
市道
北陸新幹線
ダム
など
など
この他、開木山(片貝川上流より南西側の山地)に県外資本によるゴルフ場建設構想がかつて存在していた。
登山道が整備されている。
なお、僧ヶ岳山頂から越中駒ヶ岳へ向かう登山道も整備されている。
小川寺
市街地
など
社・神社
など
※かつてあった遺跡も含む。
五十音順
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