本稿は、ユーロビジョン・ソング・コンテストの参加国一覧である。
1956年にこの催しが始まって以来、2017年までに52箇国が大会に参加してきている。このうち、27箇国が優勝を経験している。大会は欧州放送連合(EBU)の主催により、加盟放送局と共同で毎年開催されてきている。各国の放送局は自国代表の楽曲とアーティストを選出して大会に送り込み、大会を自国向けに放送し、他国の参加者に票を投ずることで優勝者が決定される。
大会への参加は、全てのEBU加盟放送局に対して開かれている。EBUの加盟局となれるのは、欧州放送地域(European Broadcasting Area)の域内にあるか、欧州評議会の加盟国に属する放送局とされている。大会名称には「ユーロ」の語が含まれているが、地理学的にヨーロッパに属する必要はなく、また欧州連合とも直接の関連はない。実際に、地理学的には西南アジアに属するイスラエルやキプロス、アルメニアはそれぞれ1973年大会、1981年大会、2006年大会より、北アフリカに属するモロッコは1980年大会で大会に参加しており、トルコ(1975年大会以降)、ロシア(1994年大会以降)、グルジア(2007年大会以降)、アゼルバイジャン(2008年大会以降)、オーストラリア(2015年大会以降)などの大州をまたいだ国々も参加している。このほかに西アジアのレバノンと北アフリカのチュニジアが大会参加を模索したことがある。2009年には、ペルシア湾の国カタールが2011年の大会参加への興味を示している。
参加国の数は急速に増加を続け、1956年には7箇国であったものが1980年代の末には20箇国以上に膨れ上がった。参加する国の数が増えるにしたがって、大会をより多くの国に開かれたものとするための予選や参加制限が導入されるようになった。1993年大会では、初めて大会への参加を試みる旧東側からの参加国に対しては予選として、クヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリート(ミルストリートへの道)が導入された。1994年以降は、参加制限が導入されるようになり、大会順位で最下位から6箇国は翌年の大会には参加できなくなった。1996年のルールでは、参加する29箇国全てが参加曲のオーディオテープを提出し、各国の審査員による審査で上位22箇国となったもののみが本大会に参加できる制度をとった。大会の主催国であったノルウェーは審査員投票で落選し、本大会に進むことはできなかった。1997年から2001年までは、過去5年間の大会成績が下位であった国々は参加できない仕組みとなった。このため、国によっては2年以上連続で大会に参加できない可能性もあった。
2001年から2003年には、1994年から1995年と同様の参加制限が設けられた。そして2004年には準決勝が導入された。この時は、前年大会で上位10箇国に入った国々は、欧州放送連合への資金拠出額が大きい「Big 4」(フランス、スペイン、ドイツ、イギリス)と共に、自動的に決勝進出となることが保障された。このほかに10箇国が準決勝を経て決勝に進み、決勝には合計24箇国が参加する方式が採られた。2008年からは準決勝が2つに分けて行われるようになり、主催国と「Big 4(2011年からはイタリアの復帰により「Big 5」となった)」以外はすべて準決勝からの参加となった。
ドイツやイギリスのような国々はほぼすべての大会に参加しており、参加回数が非常に多い反面、モロッコは1回しか参加していない。チュニジアとレバノンは参加を模索していたが断念し、実際には参加したことはない。リヒテンシュタインには欧州放送連合に加盟する放送局がないため、1976年に参加を試みたが失敗に終わっている。
以下に掲げる表は、過去に1回以上大会に参加したことのある国の一覧である。網掛けとなっている国は大会への参加を中止している国である。モロッコは1980年大会のみ参加している。ルクセンブルクは、初回大会に参加した7箇国の一つであるが、1993年以降大会には参加していない。イタリア放送協会(RAI)は、大会参加に必要な資金や才能ある人材をサンレモ音楽祭に集中させることを選び、1997年以降大会に参加していなかったが、2011年に復帰した。スロバキアは1994年から1998年まで参加した後、長年にわたる休止状態にあったが、2009年大会で復帰した。しかしながら、スロバキアは2013年に出場を休止して以来、2017年まで出場していない。モナコは20年以上におよぶ休止を脱して2004年に大会に復帰したが、その後3年連続での準決勝敗退を喫し、再度不参加となった。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国およびセルビア・モンテネグロはそれぞれ1991年と2006年に解体され、現存しない。1991年のユーゴスラビア崩壊後、1992年にはセルビアとモンテネグロのみから成るユーゴスラビア連邦共和国として大会に参加しており、これがユーゴスラビアとしての最後の参加となった。セルビアとモンテネグロは2007年からはそれぞれ独立国として個別に大会に参加している。
1956年大会では7箇国のみが大会に参加している。その後、大会参加国の数は急速に増加していった。1970年には、北欧諸国を主体とするボイコットによって参加国数が20箇国にまで落ち込んだ。1980年代末には、20箇国以上の参加が標準的となり、1993年には旧東側における共産主義体制の崩壊により、多くの新しい参加希望国が生まれた。こうした国を受け入れるために予選としてクヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリートが開かれ、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立したスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの3箇国が予選を通過した。1994年以降は参加制限が導入され、より多くの旧東側諸国の参加が可能となった。2003年には、アルバニア、ウクライナ、ベラルーシが新たに加わった。更に、1992年大会を最後に参加を禁じられていたセルビア・モンテネグロが復帰を表明した。欧州放送連合は、はじめはこの4箇国すべての復帰を認めたものの、後にウクライナ以外は参加を拒絶され、4箇国の新規参入によって参加できなくなる国が多く生じすぎる、とした。2004年にはこのような状況を解消するために準決勝が導入された。EBUは参加可能な国の数を40と定めたが、2005年には39箇国に減らされた。2007年には再び枠を増やして42箇国の参加を可能とした。2008年以降は2つの準決勝が行われるようになった。
大会に参加するためには、各年の大会前に公開される規定に従って、締め切りまでに加盟放送局が大会参加を表明しなければならない。参加する放送局は主催者に対して参加費を支払う。締め切り後に大会参加を撤回する場合、参加費は払い戻されず、更に罰金や数年間の参加禁止が言い渡される場合がある。下表は参加を一度表明したが、何らかの事情により参加を見送られた国である。網掛けとなってる国は、一度も大会に参加してない国である。
イスラエルの参加により、多くのアラブ諸国が参加できない状態にある。バチカン市国も条件の上では参加が可能であるが、その国家としての性質や、ラジオ・バチカンは宗教的な話題のみを扱う放送局であることから、参加することはないと考えられている。カタール・ラジオ(Qatar Radio)は欧州放送連合への加盟を申請し、2011年大会への参加を希望しているが、加盟が早期に実現した場合は、「よろこんで2010年大会に参加したい。多くのアラブ諸国の間で障害となってきたイスラエルの演技を放送することに、何ら問題はない。」としている。
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