1987年の西武ライオンズでは、1987年の西武ライオンズの動向をまとめる。
この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の2年目のシーズンであり、3年連続10度目のリーグ優勝と2年連続7度目の日本シリーズ制覇を果たしたシーズンである。
前年パ・リーグMVPを獲得した石毛宏典を(30歳という年齢と1985年の日本シリーズで発症した故障を考慮して)遊撃手から三塁手へ、秋山幸二を(前年後半から少しずつ準備されていた)三塁手から中堅手へコンバート。シーズン序盤は辻発彦、渡辺久信を故障で欠き、2年目の清原和博が不振であったことから、5月7日には最下位に転落するなど出遅れた。しかし、5月16日から不振の清原に代わって秋山が4番に座るとチームは復調し始め、前半戦終了時点で首位の阪急に1.5差の2位に迫った。さらに辻、渡辺が故障から復帰するとチーム状態は完全に復調し、7月後半には阪急から首位を奪取。8月以降は34勝14敗6分と貯金を20重ねて、パ・リーグ3連覇を果たした。日本シリーズは読売ジャイアンツを4勝2敗で下し、2年連続日本一となった。打撃陣はチーム打率は.249の最下位ながら、チーム本塁打がリーグ1位、チーム盗塁数が5位のロッテに次ぐ123個を記録してリーグ2位を健闘。打撃陣の不調を投手陣がカバーして完投数、防御率ともにリーグ1位で投手陣が奮闘したシーズンとなった。このシーズンオフ、パ・リーグMVPを獲得した東尾修が、麻雀賭博容疑により球団から翌シーズン半年間の出場停止と減俸2,500万円の処分を受けた。
本節では、前シーズン終了後から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
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