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1985年の西武ライオンズ


1985年の西武ライオンズ


1985年の西武ライオンズでは、1985年の西武ライオンズにおける動向をまとめる。

1985年の西武ライオンズは、広岡達朗監督の4年目のシーズンであり、2年ぶり8度目(1983年以来)のリーグ優勝を果たしたシーズンである。

概要

ベテラン選手が相次いで引退したことを受け、この年から広岡監督は本格的に若手選手主体のチーム編成に着手。それでも若手への刺激として中日の田尾安志を交換トレードで獲得し、また日本ハムの井上弘昭もコーチ兼任(当初はコーチ専任)で西武に移籍。またコーチ陣も一新され、一軍総合コーチには退団した森昌彦(一軍ヘッドコーチ)に替わり黒江透修(二軍総合コーチ)が配置転換。広岡監督らの巨人時代の同僚である宮田征典が投手コーチに、阪急OBの長池徳士が打撃コーチにそれぞれ就任し、生え抜きの伊原春樹二軍打撃コーチが一軍守備走塁コーチに昇格した。チームは4月こそ近鉄に首位を譲ったが、5月以降は秋山幸二・工藤公康・渡辺久信などの活躍で一気に首位に浮上すると、最終的に2位のロッテに15ゲーム差を付けて2年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズは21年ぶり優勝の阪神との対決となり下馬評では西武有利の声が多かった。しかしチームリーダーの石毛宏典が金森永時と守備中に激突して右ひざを痛め、またエースの郭泰源が7月14日の登板を最後に右肩痛のため離脱し、後半戦、日本シリーズで投げられないなど誤算が続出。第4戦に勝って2勝2敗としたチームは日本一を狙うべく第5戦に若手の小野和幸を先発させるも、小野が最速でKOされ、後を受けた投手も打たれて敗戦。この敗戦で阪神に流れが傾き、地元に戻った第6戦で先発の高橋直樹が長崎啓二に先制満塁本塁打を打たれると後手後手に回り、最終的に2勝4敗で敗退。シリーズ終了後、広岡監督は勇退した。

監督輩出

1985年の西武ライオンズ在籍者中11名が、後に西武ライオンズを始めとする各球団にて監督を歴任した。東尾修、石毛宏典、伊東勤、田尾安志、渡辺久信、秋山幸二、大久保博元、田辺徳雄、森繁和、工藤公康、辻発彦である。

チーム成績

レギュラーシーズン

日本シリーズ

オールスターゲーム1985

  • 選出選手及びスタッフ
  • 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。

個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

打撃成績

  • 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1985年の西武ライオンズ by Wikipedia (Historical)