1993年の福岡ダイエーホークスでは、1993年についての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。
この年の福岡ダイエーホークスは、根本陸夫監督の1年目のシーズンであり、福岡ドームを本拠地とした1年目のシーズンである。
ダイエーの新本拠地・福岡ドームの完成が迫り、田淵幸一の後任として西武の管理部長だった根本陸夫を代表取締役専務兼監督として招聘。根本新監督を迎えて、チームはユニフォームを大リーグスタイルの前立てラインに変更し、ビジター用はそれまでのグレーから上半身を黒に変更して話題を集めた。その一方で戦力補強はジョージ・ライトが5年ぶりに復帰した程度でこれといった補強のないままチームは開幕を迎え、4月を5勝10敗で終える最悪のスタート。5月以降も不振が続き、7月に5勝17敗と大きく負け越して最下位が確定的となるとその後も盛り返せず、5位のロッテ共々西武・日本ハム・オリックス・近鉄といった四強の草刈り場となり、最終的に福岡ドーム元年のこの年は最下位に転落。投手陣は村田勝喜や吉田豊彦がローテーションを守り、足利豊や下柳剛が台頭するなど明るい話題もあったがそれ以外の投手は不振でチーム防御率も4.22と崩壊。打撃陣も佐々木誠と吉永幸一郎と山本和範を除くスタメン組が成績を落とし、チーム本塁打1位は藤本博史の13本、新本拠地福岡ドームで最も多くホームランを打った選手が自軍の選手ではなくビジターチームのラルフ・ブライアント(近鉄)という惨状で、打線全体の本塁打も前年の139本から75本へと半減。結局、投打ともに崩壊して45勝80敗5分で最下位に沈みBクラスからの脱出はならなかった。シーズン終了後の11月16日に根本専務は佐々木・村田・橋本武広と西武の秋山幸二・渡辺智男・内山智之の3対3の大型トレードを敢行、11月29日には阪神の松永浩美をFAで獲得し、翌シーズン以降のチームの改革の幕開けとなる。
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