さいたま新都心(さいたましんとしん、英: Saitama New Urban Center)は、埼玉県さいたま市にて東京都心機能の「新都心」となるべく企図された業務地区の名称。もともとは国鉄大宮操車場や片倉工業の工場であった。1990年代後半から大規模な再開発が行われ、官公庁の関東地方出先機関などが進出している。
なお、当地区の一部に含まれる同市中央区の町名として、新都心が使われている。
東京都区部以外で首都を補完し、地域の中心となるべき都市「業務核都市」に旧浦和市・大宮市が指定されたことにより、両市および旧与野市にまたがって位置し、1984年(昭和59年)に機能を停止した国鉄大宮操車場の有効活用として、政府閣議決定により再開発・土地区画整理事業が行われたものである。
新都心整備事業では、「未来を担う新都心」にふさわしい都市基盤施設としてさいたま新都心駅、地上2階レベルで各施設を結ぶ歩行者デッキ、都市計画道路、区画街路、首都高速道路、ライフラインの共同溝、雨水の調整池などを重層・複合的に計画し、整備が進められた。
2000年(平成12年)5月5日に「街びらき」が行われて以降、埼玉県内でも有数のビジネス拠点となっている。さいたま市の都市計画マスタープランでは「大宮駅周辺・さいたま新都心周辺地区」として「浦和駅周辺地区」とともに都心に指定され、民間活力を利用した都市開発を推進するとされている。
南北に走る東日本旅客鉄道(JR東日本)京浜東北線、宇都宮線・高崎線、湘南新宿ラインを挟み、西側の地区(国鉄大宮操車場跡地周辺、同市中央区新都心)と東側の地区(片倉工業大宮製作所跡地周辺、さいたま市大宮区吉敷町四丁目)に分かれている。
西側地区には「さいたまスーパーアリーナ」・「けやきひろば」や、官民の高層ビルが立地する。「さいたま新都心合同庁舎」には、政府機関(中央官庁)の関東地方を管轄とするほとんどの出先機関(各省庁の地方支分部局)、ならびに甲信越地方を管轄とする一部の出先機関が設置されている。東側地区には大型ショッピングモール「コクーンシティ」が所在する(東側についての詳細はコクーンシティも参照)。
現在の「埼玉県さいたま市中央区新都心」とされている場所は、さいたま市が成立する以前は合併以前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市が入り組んでおり、新都心街びらき後も、2003年(平成15年)の政令指定都市移行までは上木崎一丁目、北袋町一丁目、吉敷町二丁目、錦町、上落合一丁目および大字上落合の各一部であった。
さいたま市の政令指定都市移行に伴い区が設置され、京浜東北線、宇都宮線・高崎線、湘南新宿ラインより西側の全区域が旧与野市域とともに中央区に編入され、東側は大宮区となった。また同時に、旧市の町名が混在していた西側地区が「さいたま市中央区新都心」に統一された。
街区の位置と所在施設を解説する。太字は施設番号である。
※E-17・18は新都心の再開発区画外であるが、片倉の敷地内であるため案内では含まれている。
中央省庁の主に関東地方を管轄する地方支分部局が同地に集積している。例外として、関東総合通信局、関東信越厚生局の麻薬取締部、東京地方検察庁の特別捜査部などが、東京千代田区九段南の合同庁舎に入居している。また、さいたま地方法務局やさいたま地方検察庁などはさいたま法務総合庁舎にある。その他、浦和地方合同庁舎、横浜第二合同庁舎なども参照。
街区を分ける各道路は、ほとんどが完成4車線(一部暫定)で整備されており、ライフラインの地下共同溝および雨水貯水槽も道路地下に建設された。また同時に、新都心周辺の国道・県道・市道の拡幅整備と共同溝整備が進められている。
さいたま新都心の各主要施設は、2階レベルで設置された人工地盤およびペデストリアンデッキ(歩行者回廊)で結ばれており、新都心の特徴のひとつになっている。
デッキは南北方向に「大宮ほこすぎ橋」から「さいたまスーパーアリーナ」の外周、「けやきひろば」を経て、「ランドアクシスタワー」、合同庁舎1号館・2号館・検査棟、「ブリランテ武蔵野」、「ラフレさいたま」、さいたま新都心郵便局、日本郵政さいたまビルまでを結んでおり、1街区から8-3街区まで地上の道路を歩かずに通行できる。また東西方向には、「けやきひろば」からさいたま新都心駅を経て「コクーンシティ」・コクーン1駐車場のある16街区まで、および北与野駅まで北与野デッキが延びており、新都心の街区のほとんどを網羅する空中回廊を形成している。
街区内の公園である地上の「月のひろば」「せせらぎの丘」とは一体化している。デッキや通路、これらの公園には、「アートの街さいたま」を目指して、彫刻等の様々なアートが屋外展示されている。
ほとんどのデッキには部分的に屋根が設けられており、雨天でも傘を差さずに歩けると同時に、デッキのすべてを屋根で覆わないことで、開放的に作られている。また一部の歩行者通路はビルと一体化している。要所には地上とを結ぶ階段の他エレベーターが設置されている。
このデッキは、2001年にグッドデザイン賞受賞。 さいたま新都心東西連絡路「大宮ほこすぎ橋」は、土木学会デザイン賞 2003 優秀賞を受賞。
さいたま新都心は、2000年(平成12年)の「まちびらき」から数年のうちに各街区が開発されたが、完成まで10年以上かかったものもある。
4街区の北東角地(NTTドコモさいたまビルの隣)は、JR東日本により、複合ビル「JRさいたま新都心ビル」(高さ96.83 m・地上20階地下2階)が建設された。地下に駐車場、地上に保育所、低層にレストランや商店、中層にホテル(ホテルメトロポリタンさいたま新都心)、高層にオフィス(主に建設した大和ハウスグループが入る)、最高層に結婚式場が入居する。計画は2014年(平成26年)11月に発表され、2015年(平成27年)5月に着工、2017年(平成29年)6月13日に開業した。
かつては、JR東日本が「(仮称)さいたま新都心ホテル」として25階建て・高さ100 mの高層ホテルを建設する予定であり、当初計画では2001年(平成13年)着工、2003年(平成15年)の開業を予定していた(当時発行の地図にも建設中として描かれている)が、着工直前に中断、以後は空き地のまま放置され、資材置き場となっていた。階層は低くなっているが、約15年経ってようやくの実現となった。
2011年(平成23年)より、埼玉県とさいたま市は、8-1A街区において、同市中央区のさいたま赤十字病院(605床)と岩槻区の埼玉県立小児医療センター(300床)の移転を行い、2016年度に開院した。
当時、両病院とも2015年度までの老朽更新・耐震化が必要とされていること、県南部の高度医療(3次救急)を担う赤十字病院と、小児医療専門病院を隣接して設置することで地域医療の充実を図ること、東日本大震災を受け、防災基地機能を持ち、大規模避難施設となる「さいたまスーパーアリーナ」や、国の官公庁が入る合同庁舎が並ぶ地域に災害拠点病院の赤十字病院などを置くことで、被災者への迅速な救急救命医療を実施するなど、広域防災拠点の強化につなげることを目的として、統合移転に近い形で、さいたま新都心に移転設置することとした。
敷地の北側(1.4 ha)に赤十字病院(地上14階地下1階、高さ78 m)、南側(1 ha)に小児医療センター(地上13階地下2階、高さ70 m)が置かれている。両病院は別の建物であるが、地下1階から地上2階、4階から6階が渡り廊下で連結されている。
1階には救急車搬送に対応した救急救命設備を別個に置いている。外来受付は2階に別個に置くが、外来用エントランスは、他の街区や駅に接続するペデストリアンデッキに面した、両病院の間に置いて共用している。また2階には、新都心の賑わい創出に貢献するため、デッキに面して店舗を併設する一方、デッキ自体は災害時のトリアージの実施スペースとするため、広く確保されている。両病院共に4階に手術室、6階等に会議室や図書室、研修施設を合わせて設置して、双方の医師やスタッフの連携を行う。院内保育所、職員の食堂やラウンジは共同利用とし、地下1階のサービス車両動線も共用している。
それぞれの上層階に置かれる一般病室は、赤十字病院が632床、小児医療センターが316床にそれぞれ拡充された。また一部屋あたりを拡大し、バルコニーやテラスを緑化、屋上庭園の設置などを行い、居住性が改善された。小児医療センターでは、患者の家族用宿泊室を「ドナルド・マクドナルド・ハウス さいたま」として7室に増加、外来用待合室やラウンジも拡大した。
赤十字病院の屋上にはヘリポートを設置し、救急・防災ヘリコプターで運ばれるような特殊な患者に対応し、救命集中治療室 (ICU) を増強して、高度救命センターを目指す。また一般病室の個室化の拡大、がん治療能力の拡大が行われる。
小児医療センターには、埼玉県施設として以下の施設が併設される。
新都心の「シンボル的な業務商業地区」としていた8-1A街区(南側中核施設群、都市再生機構が約1.46 ha・埼玉県が約0.74 ha・さいたま市が約0.2 haを保有する約2.4ha)は、まちびらき以前よりシンボルとなる超高層ビルの構想があり、1998年(平成10年)には県が高さ531 mの超高層ビルの建設構想を発表したが、景気低迷で実現せず、街びらきから10年以上も空き地のままで、臨時駐車場として活用された。
埼玉県・さいたま市は、2004年(平成16年)に、地上デジタル放送用の600 m級電波塔「さいたまタワー」の誘致活動を開始し、東京都墨田区とともに有力候補とされていたが、地上の住宅等への電波障害が約14万世帯に及ぶと想定され、これは墨田案より約7倍の規模に達し、その対策費用もより巨額になることなどを理由に落選、2006年(平成18年)3月31日に在京民放6社とNHKが、東京都墨田区の東武鉄道本社隣接地の貨物駅跡にタワー(東京スカイツリー)建設を決定して、計画だけで終了となった。
さいたまタワーの選考に敗れた後、埼玉県・さいたま市・都市再生機構はシンボル高層ビルを各企業団に対して募集した。
8-1A街区の土地利用方針の基本目標を「人・物・情報が行き交う高次複合機能拠点」として、高次の業務集積(首都機能の一翼を担う業務拠点)、にぎわいの創出(回遊性のある街)、シンボル性(さいたま新都心の顔づくり)、ビジネス支援(交流・人材育成)、安心・安全・生活支援(ゆとり・くつろぎ・文化創造)の5つを重点とし、開発事業者の選定方法は提案重視型公募とした。
具体的な導入すべき都市機能としては、民間事業者が担う機能として、業務核都市にふさわしいオフィスビル・回遊性と魅力ある商業施設・民間事業者の創意工夫による眺望性やシンボル性など付加価値を高める機能、埼玉県が担う機能として、さいたまスーパーアリーナを補完をするコンベンション施設(中規模展示場・イベントホール・会議室・公共駐車場など)、さいたま市が担う機能として、新たなにぎわい創出の拠点となるとともに鉄道博物館などとの連携が図れる集客性が高い施設(さいたま市のサッカー文化を全国に情報発信し、さいたま新都心における賑わいを創出する「サッカーミュージアム」を前提として、公募における応募者の提案を踏まえ導入機能を最終決定)を、それぞれ整備することとした。
2007年(平成19年)の募集により、「MNDさいたま」(三菱地所・新日鉄都市開発・大栄不動産の3社によるグループ)、三菱商事・丸紅グループ、大和・オリックス不動産グループの三者の提案を受け、同年内に「MNDさいたま」の提案に決定し、2008年(平成20年)5月20日に契約した。開発主体として、「MNDさいたま」を構成する企業グループが出資する「さいたま新都心開発特定目的会社」が設立され、また構成企業として鹿島建設が新たに参加した。
当初、2009年(平成21年)12月の着工、2012年(平成24年)12月の竣工予定だったが、埼玉県とさいたま市は、当初は171 m・36階建ての計画だったビルについて、「県内最高層」とすることを要求したことから、高さ186 m・地上38階に積み増しされた。この計画変更により、2013年(平成25年)5月の竣工に延期された。次いで、2009年のさいたま市長交代によって市のサッカープラザ計画が不透明になり、着工が1年前後遅れることとなった。
この間に、2008年末からのリーマンショックによる不況で、不動産市況は悪化していた。企業グループが計画の見直しを求めた事から、2010年(平成22年)6月まで県・市・機構・企業グループの間で協議が行われてきたが、企業側がビルの規模を大幅に縮小することを要望したため合意に至らず、同年7月5日に計画の白紙撤回が発表された。
新都心6街区と、新幹線・埼京線高架橋をはさんで西側の国道17号に面した区画(中央区上落合一丁目、1.4 ha)では、新都心の都市計画道路新設にあわせ、埼玉県によるさいたま新都心西区画整理事業が行われた(事業期間1998年度 - 2001年度)。新都心と、先行して再開発が進められた北与野駅周辺地区(アルーサ北与野)の間をつないでおり、一体化した都市を形成している。ただし、電線の地中化は行われていない。地区内には以下の施設がある。
新都心8-3B街区と、西大通りを挟んで対面した西側一帯の地区(浦和区上木崎一丁目、4.16 ha)では、2002年(平成14年)まで存在した日本信号与野事業所跡地周辺で、区画整理組合により上木崎一丁目土地区画整理事業が行われた(事業期間1999年度 - 2003年度)。地区内に以下の施設がある。
新都心東側地区の南側(大宮区北袋町、三菱マテリアル・総合研究所跡、約15.2 ha)では、新都心との一体的整備を目指した北袋町1丁目土地区画整理事業(事業期間2015年度 - 2017年度)が行われた。総事業費は約45億円。当初は三菱マテリアルの単独事業で、都市再生機構が事業コーディネーターとして関わる形だったが、後に土地を購入した企業も参画した形に改められた。
区画整理事業対象は跡地のうち、先行して売却した造幣局さいたま支局、埼玉県大宮警察署、都市再生機構が整備し市に譲渡した防災都市公園(さいたま新都心公園)用地を除く11.7 haで、南側の約2.5 haを自社用地とするほか、さいたま新都心駅に近い西側の旧中山道側約6 haを民間向けの商業・業務地区に、さいたま新都心公園に隣接した北側の約1.5 haを市の公共公益施設(バスターミナルなどを計画)にすることとし、区画街路の新設と周辺道路の拡幅、街区公園の整備も行われた。
2000年(平成12年)に三菱マテリアルより、研究所の整理縮小と再開発の方針が発表されたが、研究所敷地から放射性物質が検出されたため、長期間の土壌浄化が実施された(三菱マテリアル総合研究所#原子炉と訴訟)。三菱は当初、敷地の北半分を再開発する方針であったが、汚染が敷地全体に広がっていたことから、業務を大幅に縮小して敷地内の建造物の大半を撤去し、土壌浄化を行った。2012年(平成24年)度に浄化を終え、自社用地(当初2.3 ha、後に2.5 ha)を除く敷地の大半を売却する方針を発表した。同年9月には、敷地の東部を造幣局と埼玉県警に売却した。
2015年(平成27年)3月30日に自社単独による土地区画整理事業が都市計画決定され、6月5日に事業計画が決定して着工した。同年3月中には、敷地を南北に貫く道路の予定地に仮設の歩行者道路が開放され、敷地の暫定活用として、2014年(平成26年)からは自転車レース「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」のイベント、2016年(平成28年)9月には「九都県市合同防災訓練」に提供した。2017年7月までに道路等のインフラ工事が完了し、11月7日に全ての道路と街区広場3カ所が開放された。
2021年(令和3年)12月時点で、以下の施設が建設された。
また、以下の施設の建設が予定されている。
なお、「シティテラスさいたま新都心」の南端から「ビバモールさいたま新都心」の間は、既成の戸建て住宅地に接しているため、西大通り沿いに境界フェンスが設けられている。
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