マクスウェル・シェレル・カベリーノ・アンドラーデ(Maxwell Scherrer Cabelino Andrade、1981年8月27日 - )は、ブラジル・カショエイロ・ジ・イタペミリン出身の元サッカー選手。
2000年にブラジルのクルゼイロECのユースチームでキャリアをスタートさせた。2001-2002シーズンにオランダのアヤックスへ移籍すると、1年目からコンスタントに出場し、2002-2003シーズンにはチャンピオンズリーグベスト8進出へ貢献。そして2003-2004シーズンにはリーグ最優秀選手に選出される活躍を見せ、同年にセレソンへ初選出された(ただし出場機会は無かった)。
2004-2005シーズンはシーズン終盤の2005年4月21日、KNVBカップ準決勝で右膝十字靭帯を断裂する大怪我を負うが、2006年1月31日にインテル入団が決定。一旦エンポリFCに登録した上で、7月13日に正式加入した。
2006-2007シーズンは序盤こそファビオ・グロッソに定位置を譲っていたが、彼の怪我や不調に伴い徐々に出場機会を増やすと、マイコンと共にサイドからの攻めを担った。ホームのパルマ戦ではセリエA初ゴールを記録し完全復活を印象付けた。しかし、2008-2009シーズンは若手のダビデ・サントンの台頭によって出場機会を失い、2009年7月15日にFCバルセロナへ移籍。移籍金は450万ユーロ+50万ユーロのオプション。出番こそ少なかったものの、エリック・アビダルの貴重な控えとしてチームに貢献した。
2012年1月12日、フランスのパリ・サンジェルマンFCに移籍金250万ユーロ(約2億4600万円)前後の2年半契約で移籍した。
2013年8月14日のスイス代表との親善試合でブラジル代表初出場を果たし、翌年の2014 FIFAワールドカップでも1試合に出場したが、2014年10月7日に代表引退を表明した。
2016-17シーズンを最後に現役を引退した。
ポジションは基本的に左サイドバックだが、左サイドならウイングやサイドハーフ、ウイングバック等どのポジションでもプレー可能で、更にセンターハーフでもプレーできる。インテルではイバン・コルドバやズラタン・イブラヒモビッチと言った足の速い選手がいる中でチームNO.1の俊足を誇っていた。なお、イブラヒモビッチとはアヤックス時代からのチームメイトで公私ともに仲が良い。
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