『ゲゲゲの鬼太郎』(ゲゲゲのきたろう)は、水木しげるの日本の漫画作品。また、それを原作とした一連の作品群の総称。妖怪のイメージを世間に浸透させた水木の代表作であり、「妖怪漫画」を一つのジャンルとして確立させた作品である。水木しげるの貸本漫画である『墓場鬼太郎』(はかばきたろう)についても取り上げる。
墓場から生まれた幽霊族の少年・鬼太郎が多種多様な妖怪たちと繰り広げる物語。1954年の紙芝居から始まり、漫画、アニメ、映画、小説、ドラマ、ゲーム、舞台など、半世紀以上に亘って様々な関連作品が作られ続けている。
漫画作品は、貸本を経て1965年から数多くのシリーズが描かれ、幼年誌から青年誌まで幅広く掲載された。連載当初のタイトルは『墓場の鬼太郎』であったが、アニメ化に伴い改題。怪奇色の強かった内容も鬼太郎と妖怪の対決路線へと徐々に変化し、鬼太郎は正義のヒーロー然としての側面が強くなっていった。なお、「ゲゲゲ」の由来は、水木が幼いころに自分の名前を「しげる」と言えずに「ゲゲル」「ゲゲ」と言っていたことから着想したものである。単行本はこれまで幾度も出版されているが、出版社ごとに収録内容が異なっており、『水木しげる漫画大全集』で初めて全ての作品が収められた。
テレビアニメ版はこれまでに4回のリメイク・6度のアニメ放映をしており、特に1回目(第1シリーズ)のアニメ化は初の「妖怪ブーム」を巻き起こした。
漫画作品は第25回(1996年度)日本漫画家協会賞・文部大臣賞を受賞。また、テレビアニメ第6シリーズは第57回ギャラクシー賞にて、アニメ史上初となる特別賞を受賞したほか、映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は第47回日本アカデミー賞・優秀アニメーション作品賞を受賞した。
1933年(昭和8年)から1935年(昭和10年)ごろにかけて、民話の『子育て幽霊』を脚色した『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』(原作:伊藤正美、作画:辰巳恵洋)という紙芝居が存在し、『黄金バット』をも凌ぐほどの人気であった。
1954年(昭和29年)、紙芝居の貸元である阪神画劇社と紙芝居作者として契約していた水木は、同社社長・鈴木勝丸に前述のハカバキタローを題材にした作品を描くよう勧められた。作者承諾の上で、水木はオリジナルの紙芝居物語「墓場の鬼太郎」として、『蛇人』『空手鬼太郎』『ガロア』『幽霊の手』の4作を仕立てた。これが鬼太郎シリーズの原点である。
しかしながら、奇抜な展開で評判を呼んだ『空手鬼太郎』を除き、鬼太郎シリーズはそれほど人気が出ず、それ以降は製作されなかった。この水木版紙芝居の鬼太郎作品は現存しないが、伊藤版の一部は加太こうじの『紙芝居昭和史』などの書籍で部分的に見ることができる。ちなみに鬼太郎が墓場から生まれた片目の子供という設定(『蛇人』より)と目玉おやじの登場(『空手鬼太郎』より)はこのころからである。
その後、貸本漫画家に転身した水木は、1960年(昭和35年)に兎月書房発行の怪奇短編漫画雑誌『妖奇伝』に「幽霊一家」を発表。ここで現在の鬼太郎の基礎が定まる。この時期の鬼太郎はまだ人間の味方ではなく、関わった人々に怪奇な結末をもたらす不吉な少年という位置づけだった。『妖奇伝』第2号には第2作「幽霊一家 墓場鬼太郎」が掲載されるが『妖奇伝』は一般には全く人気が出ず廃刊になった。ただ、鬼太郎シリーズは熱心な読者からのファンレターがあり、同年に同じく兎月書房から『墓場鬼太郎』と題した怪奇短編漫画雑誌上で、「地獄の片道切符」(第1巻)「下宿屋」(第2巻)「あう時はいつも死人」(第3巻)などのシリーズ諸作が発表された。「下宿屋」ではねずみ男がシリーズに初登場している。
それまで水木は兎月書房の専属に近い形だったが、経営難の兎月書房からは原稿料が一切支払われなくなり、憤慨した水木は長井勝一の三洋社(後の青林堂)に移籍。『鬼太郎夜話』シリーズ「吸血木と猫娘」「地獄の散歩道」「水神様が町にやってきた」「顔の中の敵」を順次発表した。以前に書いた「幽霊一家」から「顔の中の敵」までは一連の物語になっており、後年、『ガロ』版「鬼太郎の誕生」および「鬼太郎夜話」としてリメイクされている。しかし、5冊目「カメ男の巻」を出す段階で三洋社の社長が病気で倒れて緊急入院し、その混乱のなかで原稿が行方不明となり、「カメ男の巻」は幻の作品となってしまった。
一方、兎月書房は『墓場鬼太郎』の続編を竹内寛行に切り換え、中断した『墓場鬼太郎』を第4巻から第19巻まで書き継がせた(後述)。やがて水木は兎月書房と和解し、1962年(昭和37年)には読切作品『怪奇一番勝負』『霧の中のジョニー』を描く。しかしその後、兎月書房も倒産。水木は1964年(昭和39年)に佐藤プロで、読み切り作品『おかしな奴』『ボクは新入生』『アホな男』を発行。しかし売れ行きが伸びず佐藤プロは鬼太郎シリーズの刊行を断念。桜井昌一の東考社が後を引き継ぎ『霧の中のジョニー』の続編と予定されていた『ないしょの話』を発行した。なお、鬼太郎はこのころには、後の少年誌に登場する親しみやすいキャラクターへと変貌している。
1965年(昭和40年)、『週刊少年マガジン』(講談社)はともに創刊5年目のライバル誌『週刊少年サンデー』(小学館)に約20万部の発行部数の差をつけられていた。この責任を取って前編集長は辞任、困った編集部の内田勝は急遽、貸本世界で活躍していた水木に白羽の矢を立てた。こうして『週刊少年マガジン』で「墓場の鬼太郎」の「手」が読み切り掲載される。当初は不定期掲載で人気も出ず、3話で打ち切りを検討された。しかしながら、夏休みが終わる時期に、当時の貸本読者や大学生たちからの激励の葉書が届き、打ち切りは回避された。
当時、『週刊少年マガジン』の編集長だった内田勝の著書『「奇」の発想』によると、『鬼太郎』はずっと読者投票の最下位で、人気獲得のためにアニメ化しようとも試みられたが困難を極め、友人である東映の渡邊亮徳(当時の東映常務取締役テレビ事業部長)に相談したところ、「妖怪もので、タイトルが墓場ではちょっと……スポンサーが付かないから、時間をかけてじっくりと行きましょう」と説得された(結果として『悪魔くん』の実写ドラマ化が先行)。
『悪魔くん』の成功により、水木しげるが人気作家になったため、1967年(昭和42年)からは正式な連載作品となる。内容も「怪奇物語」から「正義の鬼太郎が悪い妖怪を退治する」という少年誌向けの内容に変化。徐々に人気を増していった。妖怪という言葉がひんぱんに用いられるようになったのもこのころからである(貸本時代にはほとんど使われていなかった)。貸本時代の作品のリメイクも多く、「霧の中のジョニー」を「吸血鬼エリート」に、「おかしな奴」を「陰摩羅鬼」に、「ボクは新入生」を「朧車」に、「ないしょの話」を「大海獣」にと、多少内容をアレンジして再執筆している。また怪獣映画さながらの「大海獣」や「妖怪獣」、「毛羽毛現」の恐竜、「白山坊」のモスラのような容姿の巨大蛾などが登場するのもこの時期の特色である。なお「妖怪大戦争」の回では、後に主要メンバーとなる、砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべが鬼太郎の仲間として初めて登場する。
やがて安定した人気を得た本作品は1968年(昭和43年)に、タイトルを『墓場の鬼太郎』から『ゲゲゲの鬼太郎』に変更することでスポンサーの了解を得て、テレビアニメ化を果たす。それに合わせて1967年(昭和42年)に『週刊少年マガジン』11月12日号から作品名を『ゲゲゲの鬼太郎』と改題された。また、アニメ化に伴って少年漫画誌のみならず講談社の『ぼくら』や『たのしい幼稚園』などの幼年誌でも鬼太郎は子供たちのヒーローとして活躍する一方、貸本時代からのファンや青年向けの作品にも登場し、1968年(昭和43年)は鬼太郎作品を5誌に亘って連載していた。
『月刊漫画ガロ』(青林堂)では「鬼太郎の誕生」の掲載を経て、「鬼太郎夜話」を連載。両作とも貸本時代に描かれた作品を、一部ストーリーやデザインを変更して新たに描き直したものである。そして、『月刊宝石』(光文社)ではベトナム戦争を題材にした「鬼太郎のベトナム戦記」を連載。ベトコンに味方した鬼太郎ら妖怪軍が米軍と戦うというストーリーであるが、原案として参加した佐々木守と福田善之が思想的な部分を手伝っている。
1969年(昭和44年)、人気絶頂の最中に『少年マガジン』の連載が終了。翌1970年(昭和45年)の『別冊少年マガジン』7月号では、連載が終了した作品の主人公を描く「その後のまんがスター」という企画があり、南方に渡って最後は平和に暮らす鬼太郎という「その後のゲゲゲの鬼太郎」が掲載された。
連載やアニメの終了後も人気は衰えず、1971年(昭和46年)に再びテレビアニメ化されたことに合わせて、『週刊少年サンデー』(小学館)で新作が描かれた。今シリーズの鬼太郎は、砂かけ婆の経営する妖怪アパートの住人として描かれ、鬼太郎ファミリーのメンバーがこれまでよりも増えている。また、『少年マガジン』でゲスト妖怪として登場していた猫娘と設定は同様であるが、容姿が微妙に違う猫子というキャラクターをレギュラーとして登場させている。なお、当時は小学館の『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』などの学習雑誌での連載も加わり、7誌同時にそれぞれ別の鬼太郎作品を発表していた。
『少年サンデー』版の最終話では、鬼太郎がヤカンズルに飲み込まれ7年は出て来られないとして終わっているが、2年後の1973年(昭和48年)には『いんなあとりっぷ』(仏の世界社)で「鬼太郎とねずみ男」の連載が始まる。このシリーズは短期連載で終わるが、風刺色の強い作品でありオールカラーで描かれた。
翌1974年(昭和49年)には描き下ろし長編『死神大戦記』が学習研究社から「日本の妖異」シリーズとして上・下巻で発行。『往生要集』を下にした作品であり、宮田雪が脚色担当として参加している。今作は「その後のゲゲゲの鬼太郎」の続編として描かれ、水木しげると共に鬼太郎が地獄を舞台にして妖怪と戦うストーリーである。
1976年(昭和51年)には『週刊少年アクション』(双葉社)で「鬼太郎の世界お化け旅行」の連載が始まり、鬼太郎ファミリーが世界の妖怪を相手に活躍する姿が描かれた。なお、今作の鬼太郎は野球帽を被っている設定。また、1976年から1977年(昭和52年)に掛けては「鬼太郎対悪魔くん」、「妖怪ロッキード」などの、単発の読み切り作品も幾つか発表された。
そして、1977年から1978年(昭和53年)に掛けては『週刊実話』(日本ジャーナル出版)での連載が約1年半続く。同誌では3作品が発表され、1作目は「続ゲゲゲの鬼太郎」を連載。高校生になった鬼太郎の話であり、これまでのチャンチャンコをやめて縞模様のセーターを着用している。鬼太郎シリーズの中では特に異色作であり、内容的には青年向けに描かれている。当時の『週刊実話』編集者によると、かつて子供が人気を支えた鬼太郎を青年誌に連載することには不安があったようであるが、「当時の水木ファンたちは今や大学生や社会人になっている。読者もきっと分かってくれるはずだ」という意見もあり、鬼太郎を大人の世界で活躍させることになったという。また、当時の水木はこれまでのヒーロー的な鬼太郎からの脱却を試みていた背景もあり、この話にかなり意欲的に取り組んでいる。しかし、後に水木は「鬼太郎にセックスを持ち込んだのは失敗だった」と回想しており、『週刊実話』2作目の「新ゲゲゲの鬼太郎 スポーツ狂時代」では軌道修正を行っている。今作は、超能力を奪われた鬼太郎が相撲界で活躍する「相撲の巻」、墓の下高校の野球部に入部した鬼太郎が妖怪チームで甲子園を目指す「野球狂の巻」の2話で構成された水木独特のスポーツ漫画である。そして、『週刊実話』3作目の「新ゲゲゲの鬼太郎」では再び軌道修正が行われ、かつてのような少年姿の鬼太郎が妖怪と戦う姿が描かれている。また、SFの要素が加わったことで宇宙人との対決が多くなり、青年向けの描写は控えめになっている。なお、1977年は『週刊実話』の連載と同時期に『漫画サンデー』(実業之日本社)で「ゲゲゲの鬼太郎 挑戦シリーズ」の連載も始まっている。今作は「UFOの秘密」、「太古の秘密」、「地上絵(ナスカ)の秘密」の3話構成で、『週刊実話』同様に青年向けの作品となっている。この時期の鬼太郎シリーズは当時の雑誌にて、総じて迷走していたように「何処へ行く鬼太郎」などと特集されてもいた。
その後は『週刊少年マガジン』での読み切り作品「海坊主先生」を挟み、1980年(昭和55年)に『月刊DONDON』(日本ジャーナル出版)の短編漫画「大ボラ鬼太郎」を短期連載する。そして同年、『月刊少年ポピー』(少年画報社)で「雪姫ちゃんとゲゲゲの鬼太郎」の連載が始まり、再び少年誌で鬼太郎が描かれる。今作は鬼太郎の妹・雪姫をメインにした作品であり、雪姫が登場する唯一の作品である。不思議な力で鬼太郎のピンチを救うなど徐々に成長する雪姫だったが、掲載誌の廃刊により連載は終わってしまう。
1980年(昭和55年)以降も、総じて1980年代前半は低迷気味であったものの、1971年(昭和46年)に放送されていたアニメ第2シリーズが地方でも夕方に再放送を繰り返し、また、夏休みや冬休みにも午前中にアニメ第2シリーズの再放送が定番化されるなど、完全に人気が衰えることもなく、当時の子供たちの間でも鬼太郎の存在は認知されていた。そう言った状況を経た80年代半ばの1985年(昭和60年)夏に、フジテレビの「月曜ドラマランド」で実写版『ゲゲゲの鬼太郎』が放映され、同年の10月からはアニメ第3シリーズが開始することとなった。玩具メーカーや出版社とのタイアップ、原作の現代風アレンジなどで、本シリーズは大人気を博し、鬼太郎の作品としての知名度は1960年代・1970年代以上に一気に上昇した。漫画作品はアニメ化に合わせて『コミックボンボン』(講談社)で「最新版ゲゲゲの鬼太郎」の連載が開始。妖怪の総大将ぬらりひょんと鬼太郎ファミリーとの対決色を前面に出した作品であるが、今作は水木自身の筆ではなく水木プロによる作画作品である。なお、単行本は第20話までを収録した第4巻まで発行されたが、21話以降を残し発行は中断。現在(2020年時点)、単行本は絶版し復刻などもされていない。
その後、『週刊少年マガジン』で「新編ゲゲゲの鬼太郎」の連載も始まる(タイトルの『新編』は単行本化の際に付けられた。)。一時期迷走していた鬼太郎シリーズであるが、鬼太郎が毎回新たな妖怪と対決する従来の路線に戻したシリーズであり、アニメ同様に仲間の妖怪たちの活躍が増えたシリーズでもある。また、このころには新レギュラーとしてシーサーが登場する。アニメ版が長期化したことから、掲載されたばかりの新作も逐一アニメ化されていき、シーサーもアニメレギュラーキャラクターとして取り上げられた。そして、約1年後には掲載誌を『月刊少年マガジン』(講談社)へ移し、「ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎地獄編」が連載された。鬼太郎たちが地獄へと旅する物語であり、鬼太郎の母や、ねずみ男の一族も登場する。
アニメ終了後も以前第3シリーズの再放送が繰り返されて人気は衰えず、1990年(平成2年)からは『コミックボンボン』で「鬼太郎国盗り物語」の連載が始まり、1992年(平成4年)からは『デラックスボンボン』(講談社)へ掲載誌を移行。地上侵略を狙う地下帝国ムーとの戦いを描いており、勧善懲悪のわかりやすいストーリーながら、当時のバブル時代の社会風刺を上手くからめた作品となった。これを機にボンボン版を元にした前第3シリーズの続編としての4度目のアニメ化の話が持ち上がり『テレビマガジン』(講談社)でも特集や絵物語の連載が始まったが、諸般の事情によりアニメ化は流れた。
1996年(平成8年)、子供たちの間に学校の怪談ブームが起こったことを機に、再び原点回帰にアレンジされた4度目のアニメ化が実現した。これに合わせて各誌で特集や連載が始まるがアニメ絵中心であり、原作の漫画作品は発表されなかった。水木作品としては『コミックボンボン』で「ゲゲゲの鬼太郎スペシャル 妖怪百戦」という絵物語が連載され、鬼太郎ファミリーが世界の妖怪と戦う姿を、妖怪図鑑も兼ねた構成で描かれた。
1996年には新シリーズ「鬼太郎霊団」の第1話が『ビッグゴールド』(小学館)に掲載される。これまでの鬼太郎ファミリーを鬼太郎霊団と名付け、地球上のバランスを保つために、よい霊の指示に従って行動するという新たな設定の作品であるが、キャラクター版権の都合で1回で休止。第2話は、明くる1997年(平成9年)に『漫画サンデー』で2回に分けて掲載された。1998年(平成10年)でアニメ第4シリーズは一旦終了するが、その後も水木しげるの画業50周年記念に伴う数々の復刻書籍や、水木が荒俣宏・京極夏彦らと角川書店との連携で『世界妖怪協会』を立ち上げたことで、鬼太郎と妖怪の書籍方面でのメディア特集は続いた。
そうした人気と特集などの活動は2000年代になってからも続き、水木の生誕80周年記念に鬼太郎アニメ化や実写映画など複数の企画が各方面で考えられ、2006年(平成18年)にこれまでのアニメシリーズがDVD-BOXにて販売されたことで、2007年(平成19年)4月に初の実写映画が公開され興行的にも大ヒットとなる。そして時を同じくしてアニメ第5シリーズが開始。これに併せて描き下ろしの絵本シリーズの出版や、他の作家による『コミックボンボン』などでの漫画連載は行われたが、水木による新たな原作のシリーズは発表されなかった。5期のイラストは自伝漫画「神秘家水木しげる伝『私はゲゲゲ』」で描かれ、「大好評である。まったく鬼太郎は福の神だねえ」と喜びのコメントをしている。
長らく作品が発表されていなかったが、2013年(平成25年)に発行された『水木しげる漫画大全集』(講談社)別巻に、描き下ろし新作「妖怪小学校」が収録される。鬼太郎シリーズの貸本版と雑誌版の間を繋ぐストーリーが描かれた。また、『月刊少年ライバル』(講談社)にも特別読み切り「ねずみ猫の巻」が掲載されるなど、立て続けに新作が発表された。
2015年(平成27年)に水木が逝去し、水木が直接描く『ゲゲゲの鬼太郎』は一旦未完結扱いとなるが、各種イベントやグッズなどのために水木プロがイラストなどを描き下ろすことは続く。
2009年(平成21年)にアニメ第5シリーズが終了した後は長らく大きな動きは無かったアニメ関連も、2017年(平成29年)の年末年始アニメ映画『映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活』に鬼太郎が客演、翌2018年(平成30年)にはアニメ第1作放送開始から50周年を迎えたことを記念して「新プロジェクト」が立ち上がり、同年4月からアニメ第6シリーズが開始した。
アニメ第6シリーズも大人気を博し、同じく2018年には、季節ごとに刊行されることとなった『ゲゲゲの鬼太郎総集編』(講談社)の夏号で、水木の生前の構想を基に水木プロが発展させて描き下ろした新作「岩戸のガマ坊主」が掲載され、水木の逝去後も原作の『ゲゲゲの鬼太郎』は水木プロが受け継いで続くこととなった。また、第5シリーズ時と同様に他の作家による漫画連載も『別冊コロコロコミック』(小学館)で行われることとなった。『コミック乱ツインズ』(リイド社)2019年(平成31年)1月号では、 江戸時代を舞台に鬼太郎ファミリーが活躍する、鬼太郎シリーズ初の時代劇コミック「決戦 愛宕山」が、水木プロ描き下ろし新作漫画として掲載された。
水木しげる、および水木プロによる作画作品(漫画、絵物語など)を記載。他の作家による作品は(後述)。
水木しげるによる鬼太郎シリーズ作画作品のエピソードのうち一部を記述。数多くの出版社で発表された鬼太郎シリーズの膨大な作品のうち、ここでは、アニメ化された貸本版「墓場鬼太郎」、「鬼太郎地獄編」、ゲゲゲの鬼太郎のアニメシリーズのエピソードの元になる1960年代「少年マガジン版」、「少年サンデー版」のエピソードを記述。
1960年代の貸本漫画。2008年にアニメ化。
1960年代に週刊少年マガジン又は別冊少年マガジンにて掲載された作品。アニメ化に伴い、途中で「墓場の鬼太郎」から「ゲゲゲの鬼太郎」へ改題された。ゲゲゲの鬼太郎アニメシリーズにおいて扱われることがある。
1971年に週刊少年サンデーにて掲載された作品。マガジン版と同じく、ゲゲゲの鬼太郎アニメシリーズで扱われる。
1987年に月刊少年マガジンにて掲載された鬼太郎地獄編。アニメ第三シリーズで扱われた。
原作の鬼太郎作品には、第1話から「異形の存在」は描かれているが、当初は「妖怪」という呼称での存在としては登場しておらず、「妖怪漫画」として定着するまでには幾つかの経緯が存在する。作中で明確に「妖怪」として現れてくるのは、1961年の貸本版『鬼太郎夜話』の第2巻からである。ここでは柳田國男の『妖怪談義』に収録された「妖怪名彙」に載る妖怪が現れるが、名前だけで姿はほとんど描かれていない。
やがて、1965年から『週刊少年マガジン』に「墓場の鬼太郎」の掲載が始まるが、この段階でも「妖怪」としてはほとんど明確に言及されておらず、戦う敵の吸血鬼や夜叉も、怪奇的フィクションのキャラクターや怪物などを元のイメージとして描写されている。完全に「妖怪」として登場し始めるのは「妖怪大戦争」の回を経た1966年から、テレビアニメ化を翌年に控えた1967年に掛けてである。水木しげるは、この時期に藤沢衛彦の『妖怪画談全集』や鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に出合ったとされる。そして、鬼太郎は徐々に妖怪との対決路線へ変化し、「ゲゲゲの鬼太郎」改題後はより顕著となる。また、その際に先の「妖怪名彙」に載っていた妖怪に姿を与え鬼太郎の味方に、『画図百鬼夜行』の妖怪に物語を与えて敵役の妖怪へと登用していった。
一方で、水木はこのころについて「まだ妖怪といったものが、皆さんに分かっていなかったから大変だった。もっぱらヒーローの敵として御登場願うしかなかった」と回想しているように、連載当初は、日本古来より漠然と表現されてきた「妖怪」という言葉も概念も、一般的には余り知られてはいなかった。妖怪が本格的に浸透し始めたのは、鬼太郎より前にテレビ化を果たした『悪魔くん』や当時の怪獣ブームなどの下地を経て、大伴昌司により『少年マガジン』を中心にして展開された「妖怪画報」などの影響が大きかったともされている。
鬼太郎のヒットとメディア戦略の足並みが揃ったことで、従来の伝承にあった「妖怪」の概念は波及し、妖怪ブームや鬼太郎の長期シリーズ化へと繋がっていった。
作品のストーリーの多くは、鬼太郎が毎回新たな妖怪と対決するという話であり、前後の話や別シリーズとの繋がりは余り意識されていない。時には大きく矛盾する展開もあるが、鬼太郎や妖怪の基本設定は概ね一貫している。
ここでは主要キャラクターのみを紹介する。なお、各キャラクターの設定は作品ごとに大きく異なる場合がある。
本作品は過去から現在に至るまで不定期的に映像化されているが、テレビ番組として製作された作品は一貫してフジテレビで放映されており、フジテレビと東映が製作している。2007年4月には松竹によって初めての劇場版実写映画化が成され、全国ロードショーされた(後述)。
1960年代・1970年代・1980年代・1990年代・2000年代・2010年代と、各年代ごとに6つのシリーズ作品が製作されている。2000年代には別枠で原点となるシリーズ作品も製作されている。
テレビアニメはいずれもフジテレビ系列で放送、東映アニメーション(旧・東映動画)が製作。これまでに4回のリメイク・7度のアニメ放映をしている。そのうちで、第2シリーズは第1シリーズの続編である。また、『墓場鬼太郎』は深夜枠放送の別枠で、直接『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズとしてのリメイク作品扱いではないが、その原典・前身作のため、エピソードの一部はリメイク的な関係(原作も『墓場鬼太郎』での描写が元祖・オリジナル)ともなっていて、物語は鬼太郎の誕生から始まり、第1シリーズより前の時代・年代が舞台である。第4シリーズ以降の放送枠は日曜9:00からが続いている。一部作品では映画も製作された。また、貸本版の『墓場鬼太郎』を原作としたアニメが、フジテレビ系深夜アニメ枠「ノイタミナ」にて放送された。
東映が水木しげるの『悪魔くん』を実写でテレビ化して成功したことで、東映動画は「墓場の鬼太郎」を、資本系列が同じNET(現・テレビ朝日)系列放送用にアニメ化を企画。しかしこの時は、“墓場”というタイトルを持つ作品をアニメ化することに尻込みしたスポンサーによって立ち消えとなった。
その後アニメ化の企画はフジテレビへ移ることになったものの、制作初期は「墓場の鬼太郎」(仮題)で進行していたため、NETと同じようにスポンサーから“墓場”に対する忌避反応が起こったが、原作のタイトルを無難なものに変えるという、当時としては大胆なアイデアが提案される。水木がこの提案を受けた際、どのような反応を見せたかは判然としていない。なお、水木の自伝的漫画「私はゲゲゲ」の中では、水木が自ら「『ゲゲゲの鬼太郎』はどうです」と提案している。またNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』では、困惑しながらもタイトルを考え、最終的にオープニング主題歌の「ゲ ゲ ゲゲゲのゲ」から着想を得た描写がなされている。結果的に原作はアニメ化の直前に「ゲゲゲの鬼太郎」と改題した。また“ゲゲゲ”というフレーズは、水木の子供のころのあだ名「ゲゲ」から名付けられたものだという。「ゲゲ」の由来については幼少時の水木が自分の名を上手く言えず「げげる」と発音していたことに起因する。
“墓場”というタイトルでのアニメ化は、第1シリーズ放送から40年後に深夜枠放送として実現する。
1968年1月、アニメの第1シリーズが放送開始される。このシリーズのみモノクロである。それまでNET向けにアニメを制作していた東映動画が初めてフジテレビで放映したアニメでもある。
1971年10月、カラーアニメ作品として第2シリーズが放送開始される。この時より猫娘がレギュラーに加わる。第1シリーズの続編として製作されたため、中盤で原作に追いつき、以降は水木の他作品を鬼太郎エピソードに脚色して使用した。後半では児童向けらしからぬ非常に怖いストーリー展開や、社会性のある重厚なエピソードも誕生した。
2度のアニメシリーズがいずれも好評だったことから、その後も1970年代後半ごろまで度々新シリーズの企画が出たが、実現に至らなかった。1980年代に実写連続ドラマでのリメイクが企画され、1985年8月に「月曜ドラマランド」枠の単発作品としては実現したが、当初の連続ドラマ化の予定はフジテレビの反対により頓挫する。これがアニメ企画へ変わり、前作から14年後の1985年に第3シリーズが開始。以降の新作は全てリメイクとなる。第2シリーズと比較してエンターテイメント性重視のリメイク版となっている。視聴率は20%を超える回も多く、一部は30%に迫る高視聴率となる。
1996年に第4シリーズが放送される。過去3作品と違い各局で放送枠が不安定だったが、全編にわたり安定した人気を得て長寿番組となった。
2007年に第5シリーズが放送される。日本のテレビアニメ史上最多となる4回目のリバイバルを達成した。2008年にアニメ版鬼太郎は40周年を迎え、それに合わせて第52話から冒頭に「TV ANIMATION 40th ANNIVERSARY ゲゲゲの鬼太郎」のロゴが表示されるようになった。同作の劇場版にも同じく表示されている。
2018年、1月3日にアニメ第1作放送開始から50周年を迎えたことを記念し、「新プロジェクト」が告知され、同年4月1日から第6シリーズが放送開始された。放送終了後の2021年3月7日に行われたオンラインイベント「まんが王国とっとり 生誕99年 水木しげる生誕祭」にて、翌2022年に水木しげる生誕100年を迎えるのを受けて立ち上げられた「水木しげる生誕100周年記念4大プロジェクト」の一環として、新たに同作劇場版の製作が発表された。
『墓場鬼太郎』シリーズ、代役、ゲスト扱い、その他の出演作品は省略(キャラクターとしての詳細も含めて、リンク先のページを参照)。
2017年12月16日公開『映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活』に、鬼太郎(声 - 野沢雅子)、目玉おやじ(声 - 島田敏)、ねずみ男(声 - 大塚明夫)、ねこ娘(声 - 皆口裕子)、砂かけばばあ(声 - 江森浩子)、子泣きじじい(声 - 塩屋浩三)、一反もめん(台詞なし)がゲスト出演している。
ほか
1978年に「ラジオ劇画傑作シリーズ」(TBSラジオ)にて放送された。「鬼太郎の誕生」「白山坊」「妖怪大戦争」「幽霊電車」など原作に準拠した内容で、水木しげると親交のあった田辺一鶴が語りを担当している。
2006年の特別番組『ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)内でも、同様の主演キャストでラジオドラマが放送されている。
人形劇団ひとみ座による人形芝居。
作品によっては原作、アニメ(3期、4期、5期)をベースにしている。
鬼太郎らが出演している作品のみ掲載する。
古い広告やCMも数多く存在するが、確認できる情報は極めて少なく、ほぼ記載できていない。
他の作家による作品を記載。
単行本は中国語『少年英雄鬼太郎』、英語『Kitaro』、タイ語『คิทาโร』、イタリア語『KITARO DEI CIMITERI』、フランス語『Kitaro le repoussant』、韓国語『게게게의 기타로』、スペイン語『KITARO』などが出版されており、テレビアニメはアニメ専門チャンネルなどを中心にアジアをはじめとする諸外国で放送実績がある。
漫画・アニメ共に台湾での人気が特に高く、2012年にはテーマパーク「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪楽園」特別展が国外で初めて開催され、計45万人を動員した。一方、アメリカでは水木の戦争漫画や『のんのんばあとオレ』が評価されるも、鬼太郎はプロモーションの失敗により、英語版の存在が知られなかったため、現状では高い支持を得られていないと評されている。
がいな鬼太郎
ゲゲゲの鬼太郎カード
米子鬼太郎空港
現在、絶版となっていないものを中心に表記。
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