クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、クロアチアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。
クロアチアは、1991年にユーゴスラビアから独立を果たし、1993年大会で初出場した。1993年から2013年まで、スウェーデン等と並んで、クロアチアは毎年欠かすことなく大会に参加を続けている数少ない国であったが、2014年から2015年は不参加となり、2016年から復帰した。
1961年大会から1991年大会までの間、クロアチアはユーゴスラビアの一部として参加していた。この間にユーゴスラビア代表として大会に参加した26エントリのうち、半数の13エントリをクロアチアから出しており、ユーゴスラビア時代はその構成諸国の中でもっとも多くのユーゴスラビア代表を輩出している。ユーゴスラビア代表として唯一優勝を果たした、1989年大会に参加し「Rock Me」を歌ったリヴァ もクロアチア出身である。リヴァの勝利により、翌年の1990年大会はザグレブで開かれた。
1991年にユーゴスラビアが解体されると、クロアチアは独立国として1993年大会に初めて出場した。クロアチアの公共放送であるクロアチア国営放送は、その前の1992年大会のクロアチア代表を選ぶフェスティバルを催した。しかし当時、クロアチア国営放送は欧州放送連合に加盟しておらず、1992年大会への参加はかなわなかった。このとき、もしクロアチア国営放送が欧州放送連合に加盟していたら、初の参加はマガジンの「Aleluja」となる予定であった。
クロアチアの初参加は1993年大会となった。クロアチア代表として大会に参加したのはプット(Put)の「Don't Ever Cry」で、この曲はタイトルは英語であるがクロアチア語で歌われた。2008年までの間に、クロアチアで最高の順位となったのは、1996年大会でのマヤ・ブラグダン(Maja Blagdan)の「Sveta ljubav」、および1999年大会のドリス・ドラゴヴィッチ(Doris Dragović)の「Marija Magdalena」で、ともに4位となった。
クロアチア代表を決める国内選考はHRTドラ(Dora)で、クロアチア国営放送によって毎年開催される。
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