在日米国大使館(ざいにちべいこくたいしかん、英語: Embassy of the United States of America in Japan)は、アメリカ合衆国が日本に設置している大使館で、東京都港区赤坂一丁目10番5号に位置する。
アメリカ合衆国連邦政府を代表して、隣接する霞が関地区に集中する日本国政府の中央省庁などと交渉や情報収集を主要業務とし、在日米軍再編問題、BSEに起因する米国産牛肉の輸入問題への対処、アメリカ文化の普及活動、アメリカ観光を促進するため米国各地の観光局や企業の斡旋も行っている。
札幌(札幌市中央区)、大阪・神戸(大阪市北区)、那覇(浦添市)、福岡(福岡市中央区)の領事館とともに、アメリカ合衆国の市民権を所持する者の支援や、米国を訪問する外国人へ査証の発券など領事業務を行っている。
米国内で提訴された民事訴訟の証言録取 (deposition) を日本で行う場合、日本法の弁護士法第72条(非弁活動の禁止)[1]は、これをアメリカ大使館で実施するとしている。
宿舎は六本木二丁目(赤坂氷川神社の正面)に、立方体を積み重ねたような外観のタワー型3棟とコテージがある。年に2回、例年5月のバザールと8 - 9月頃のフレンドシップデーに一般開放される。
駐日アメリカ大使は、ラーム・エマニュエルが2021年(令和3年)12月22日に就任の宣誓を行い、翌2022年(令和4年)1月23日に着任のため来日した。
大使館の敷地 (13,000平米)は日本の国有地であるが、その賃貸料をめぐって日米政府の主張が対立し交渉が難航したが、2007年12年に段階的な引き上げで合意した。
アメリカ側と1896年(明治29年)に交わした契約文書(永代賃貸券)では、年間の地代が400円(後に拡張した分を加えて409円)と当時の貨幣価値でも特典に近い額となっていた。時代にそぐわなくなったとして1939年(昭和14年)に外務省と大蔵省が値上げ交渉を開始。戦争をはさんで話し合いが続いたが、契賃貸契約か所有権かという点で主張が対立。長らく地代409円の時代が続いた。1974年(昭和49年)に大使館の建て替えを契機にアメリカ側が譲歩して改定交渉が妥結、過去5年間にさかのぼって年間の地代を63万円とすることが決定した。
その後も値上げ交渉が続けられたが、アメリカ側は引き続き明治時代の文書を引き合いに出し、「値上げの規定はなく、大幅な値上げには応じられない」と支払いを拒否するようになった。しかし最初の滞納の時効を控えた2007年(平成19年)12月10日に段階的な引き上げで合意し、米側は同日までに10年分の借地料7,000万円を支払った。今回の合意で1998 - 2007年分は年700万円とし、以後2008 - 2012年は年1000万円、2013 - 2027年は年1500万円に引き上げた。米国以外も英国などが国有地を賃借しているが借地料を滞納した例はない。
駐日アメリカ合衆国大使館の東側に「霊南坂」があり、「アメリカ大使館」の異名として通用した時代もある。
霊南坂(れいなんざか)は、赤坂1丁目と虎ノ門2丁目の境界を南西に上る坂道で、西側はアメリカ大使館、東側はホテルオークラ東京と大倉集古館である。
坂上一帯の旧町名は「赤坂区霊南坂町」(現在は港区赤坂1丁目)で、旧霊南坂町は1917年(大正6年)に辰野金吾が旧教会堂を建築した霊南坂教会がある。
坂名は、江戸時代のはじめに徳川家康、秀忠、家光と三代に渡る将軍に尊敬された僧の霊南が、赤坂溜池の南台に寺を創建して居住した「霊南庵」による。のちに霊南庵は、幕府が一帯を武家地に変更したことから芝高輪へ移転して「東禅寺(高輪東禅寺)」と改称した。高輪東禅寺は幕末、英国の仮公使館として使われた。
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