関東ラグビーフットボール協会(かんとうラグビーフットボールきょうかい、Japan East Rugby Football Union)は、北海道・東北・関東・甲信越を管轄とする日本ラグビーフットボール協会の支部協会の一つ。
傘下の都道県協会、2022年度(令和4年度)登録チーム数、登録会員数(2023年3月現在)
1899年(明治32年) - 慶應義塾の英文学教員のエドワード・B・クラーク(ケンブリッジ大学出身)が、田中銀之助(学習院出身)と共に、塾生にラグビー指導を始める。田中は後年、関東ラグビー蹴球協会の初代会長になる。
当初、慶應義塾のラグビーは同好会活動だったが、1903年(明治36年)に慶應義塾体育会に正式加盟し、これが日本人初のラグビー部となる慶應義塾體育會蹴球部の始まりとなる。その後、各地の大学・旧制中学(現在の高等学校)にラグビー部が次々と生まれる。
1919年(大正8年) - 第三高校(京都大学の前身)と同志社のラグビー部OBが中心となり、「オールホワイト」こと関西ラグビー倶楽部(KRAC)を設立。プレーするだけでなく関西ラグビーの発展を目指し、西部ラグビー協会の母体となる。
1920年(大正9年) - 関西ラグビー倶楽部(KRAC)との「東西OB対抗戦」に向けて、慶應義塾OBを中心に関東各校OBからなるAll Japan Rugby Association(AJRA)を設立。1903年(明治39年)早慶野球試合でのトラブル以降、両校の対戦が禁止されていた慶應義塾と早稲田の仲を取りもち早慶戦を実施し、早慶スポーツ交流を再開させるなど、関東ラグビー協会の母体となる。
1922年(大正11年) - 第1回早慶戦を実施。国内ラグビー試合で初めて入場料を徴収する予定だったが、アマチュアリズムに関する議論を呼び、断念した。
1924年(大正13年)6月20日 - 関東ラグビー蹴球協会が発足した。慶應義塾ほか東京帝国大学・早稲田など各校OBからなるAJRAが設立母体だった。この年の早慶戦から、関東ラグビー蹴球協会主催として入場料の徴収を始める。
1924年(大正13年)9月 - 九州ラグビー倶楽部が創立。現在の九州ラグビーフットボール協会の母体。
1925年(大正14年) - 西部ラグビー蹴球協会(現在の関西ラグビーフットボール協会、九州ラグビーフットボール協会)が発足した。三高OB・同志社OBなどからなる関西ラグビー倶楽部が設立母体。九州ラグビー倶楽部は、「西部ラグビー蹴球協会九州支部」として活動。
1926年(大正15年)11月30日 - 日本ラグビー蹴球協会(現・日本ラグビーフットボール協会)が創立。関東ラグビー蹴球協会と、西部ラグビー蹴球協会の2つを統括運営する組織となる。
1930年(昭和5年)10月 - 関東協会から機関誌『ラグビー』を発刊。しかし2年弱、第8号で休刊となった。1934年(昭和9年)1月には、あらためて関東協会から機関誌『Rugby Football』が発刊された。断続的に発行されたあと、1937年(昭和12年)全10号で休刊となった。戦後になり、1951年(昭和26年)10月に日本ラグビーフットボール協会が、 機関誌『RUGBY FOOTBALL』を創刊した。
1945年(昭和20年)11月2日 - 関東地区で戦後初となる公式戦を開催。空襲を免れた成城高校(現在の成城大学)のグラウンド(東京都世田谷区)を使い、学生、OBがそれぞれ紅白試合を行った。
1946年(昭和21年) - 第17回関東6大学対抗戦を開催。
2011年度(平成23年度) - マンオブザイヤー(現・プレーヤーオブザイヤー)表彰開始。
2024年度(令和6年度)- 関東ラグビーフットボール協会の創立100周年を記念し、イベント、式典、試合を行う。
関東協会が、シーズンを通して最も活躍した選手を表彰する。2011年度「マンオブザイヤー」として開始。2021年度から「プレーヤーオブザイヤー」に改称。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou